オリジナルの「オリンポス宮」から、少年エクト、少年リュオ、ちびサラム。少年たちは15歳くらい。
こうやって外堀から攻めていけば、いつか本筋を書く気になるんじゃないかって夢見てます^q^
今回女の子がいない!
追記:
絵を描いてみたら、リュオがサラムをいじめてるみたいになりました(´ワ`)
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産まれた子が『神憑き』であるか否か、それは産まれた瞬間に判別がつく。
『神憑き』は印を持って産まれてくる。文字通り、手に『持って』産まれてくるのだ。そしてその印は、上位階に行けば行くほど煌めく輝石の形を為している。
エクトは真っ青な半月の珠を両手にひとつずつ持っていた。リュオは内側に無数の煌めきを宿した朱色の珠を持って産まれたらしい。
海を司る『ポセイドン』憑きのエクトは青、太陽の化身とされる『アポロン』憑きのリュオは朱と、憑き神に関連する珠を持って産まれるのが常だった。
そうして、『神憑き』だと判じられた赤ん坊は、親の顔も覚えぬうちに神殿に奉じられ、神山へと連れて行かれる。
あまねく世界、あまねく人々に大いなる力を発揮する『神憑き』は、ただ人の内にあっては災厄にしかならないからだ。
「とはいえ、まあ、親にしたら可愛い自分の子どもを手放したくないよなあ……」
「同情するな、エクト」
辺境の村。
大陸の中央にあり、世界のどの場所からでも姿を認めることのできる神山が霞むほど遠くの地に、エクトとリュオは来ていた。
祭壇の周りにしか屋根のない、簡素な造りの神殿。神がおわすとされる祭壇の上方に立つふたりの見下ろす先には、薄汚れた子どもと、身なりのいい大人が数人、地に額をこすりつけんばかりに平伏している。
「感情に流され、誤った判断をした末路がこれだ。どこに同情の余地がある」
子どもは奴隷の身なりをしていた。縄につけられて連れてこられたところを、先ほど一喝して解かせたばかりだ。
むき出しになった細い手足に、無数の痣が見える。エクトは痛ましげにそれを見つめて、うん、と頷いた。
「この子のことを考えれば、それはそうだ。――長、その子どもを引き取りに来た」
「本来は神山に住まい、広い世界にて力をふるうべき子どもだ。このような小さな村で収まるものではない」
子どもが『神憑き』であると知らなかったらしい長は、目を剥いて奴隷として扱ってきた子どもを見た。
色をなくして「応」と答えることしかできない長に対し、否やを唱えたのはこの場で一番派手な格好をしている男だった。
「アポロンさま、ポセイドンさま、お待ちください。この者には印がありません。見た目も中身も小汚いただの小僧です。なにかのお間違いではありませんか?」
伺うように、けれど侮りを隠しもしない顔を向けてくる男に対し、エクトは眉をひそめた。
辺境に行けば行くほど、『神』の住み処から遠ざかる。それに比例して信仰心が減じるのは致し方ないことかもしれない。
『神』を信じない輩にとっては、リュオもエクトも、少し小綺麗な格好をした少年にしか見えないだろう。光り輝いているわけでもないし、宙に浮くわけでもない。
俗世にすっかり身を浸からせている人間は、見たままを信じ、見えない部分の力を過小評価する。実際に力に触れたことがないのならある程度は仕方ないのかもしれないけれど、この男はすでに見ているはずだ。
「『ヘルメス』」
エクトの呼びかけに、子どもの肩がぴくりと動き、ゆるゆると顔が上がる。
薄汚れ、やせ細った顔にある二つの輝きは、理知の光を宿している。彼は自分を『神憑き』だと理解しているのだ。
「今、何歳になる?」
「……9歳、です」
だって、とリュオを見ると、彼は白金の髪を揺らして肩を竦めた。
「9年。9年もこの子どもに接していて、なにも気づかなかったとは、さぞかし頭が鈍いんだろうな」
嘲弄する親友に、エクトは生ぬるく笑みを漏らす。リュオの怜悧な美貌は、悪人面をする時にもっとも輝いているような気がする。
倍以上も年の離れた子どもから見下された男は、ぐっと口をかみ、眦を釣り上げた。
その口から罵声が飛び出す前に、リュオがたたみかける。
「見れば、この寂れた村の中で、お前だけ妙に血色のいい顔をしているな。それが誰のもたらした加護か、この村の惨状がどこに由来するものか、わかっていてしらばっくれているのではないか」
「なにを馬鹿な……!」
「『神憑き』の力を軽んじるお前には、今後罰が下るだろう。『ヘルメス』を拘束し、私欲に利用した罪は重い」
「くだらん! このクソガキめ、黙って聞いていれば……」
「黙るのは貴様だ、馬鹿者が!」
長と男が険悪な雰囲気になるのを、エクトは「あーあ」と眺めやる。
ふと視線を移すと、子どもが青の双眸をじっとこちらに向けていた。
にこりと笑い、手を伸ばす。
「おいで。なにか忘れ物はないかい?」
子どもは、エクトの手のひらを見つめ、迷うような緩慢な素振りで立ち上がった。
男が気づいて止めようとするが、ひとつ呻いただけで動きを止めてしまう。
「欲にまみれた汚らしい手で、これ以上その子に触れるな」
いつもは柔らかい親友の声が、今は険を帯びてひどく尖っている。
祭壇を通り越し、ただ人よりも高い位置に落ち着いた子どもを眺め、怒りたく気持ちはよくわかると、エクトも眉をしかめた。
やせっぽちの身体からは、饐えた臭いがする。背も小さく、とても9歳には見えない。
「――これはお笑いだ!」
うるさいな、と目をやる先で、動きを止められた男が口元をいびつに歪めて吼えている。
「なんで口まで黙らせないんだ」
「うるさい、加減が難しいんだ。殺すわけにはいかないだろう」
ひそひそとやり合う傍から、大音声が通り抜けていく。
「仮にもアポロン、ポセイドンを名乗る者が、印がない子どもを『神憑き』と紛うとは! その子どもは枯れ果てた村の最後の希望だ! 神は些細な気まぐれで、この村を死に絶やすのだな!」
「……希望?」
エクトが繋いだ手の先から、ピリ、と痺れが伝わってきた。
口を開こうとしていたリュオを制して、子どもの動向を見守る。
子どもの顔は笑っていたけれど、明らかに怒気を纏っていた。
「俺を災厄と呼んだじゃないですか、ご主人様。村をお前から守るために、一歩も外に出てはいけないと。ねえ、あれは何の話だったんですか?」
へらへらと笑う顔は、まるで道化の仮面をつけているようだ。
ピリピリと腕が痺れる。押さえ込まれ、けれど抑えきれない激情が、放電のように子どもを取り巻いている。
「貴様、それはまことのことか!」
「長、あの子どもには印がない。それはあなたもご存じのはずだ!」
輝石を抱いて産まれなかったということか。いや、そうというよりは。
「親が隠したのかな……」
「だろうな。まったく、度し難い」
見下ろした先の子どもに、親がどうなったのかとは聞けない。両親がまっとうに生きているのならば、奴隷の身分になどは落ちなかっただろう。
「ま、いいや。とにかくもう行こう。俺たちが長居するのもあまりいいことじゃない」
ぽん、と子どもの痩せた肩を叩き、行こうと促す。子どもは頷き、けれどすぐに「忘れ物」と呟いた。
「ご主人様」
薄汚い、ちっぽけな子どもは、けれどただ人のある場所から上方において、かつて自分を使役していた人間を見下ろしている。
睨みつけてくる男の顔に、へらり、と笑いかける。
「あなたに相応の『幸福』が、この先あなたに訪れますように」
うわあ、とエクトは思わず口の中で呻く。リュオも驚いたような顔をして子どもを見ている。
道化のように、馬鹿みたいな顔で笑うこの子どもは「相応の幸福」がどういうものか正確に理解しているようだった。
虹の橋を辿れば神山まではあっという間だ。住み慣れた場所に戻ってきたことでほっとして、エクトはうーんと伸びをした。
「あー肩凝った。着替えていいかな。マント重い」
「馬鹿。まだ仕事は終わってないんだから、そのくらい我慢しろ」
「着替えてからでいいじゃん」
「我慢しろ」
はーい、とやる気のない返事をして、ぽつんと留まっている子どもを振り返る。
「慌ただしくしちゃってごめんな。俺は『ポセイドン』のエクトだ。ようこそ神山に」
「挨拶が遅れてすまなかったね。私は『アポロン』のリュオ。きみの名前は?」
二人して屈み込むと、子どもは若干身を仰け反らせた。怯えたような目をして、しかしそれをすぐにへらりとした笑顔で消した。
「サラム……あの、俺」
「ん?」
「……神様には生まれつき、印があるって。でも、俺、そんなもの」
道化の笑顔がしおれるように俯いていく。顔を見合わせたエクトとリュオが口を開こうとすると、子どもは慌てたように遮った。
「でも! でも、変な力があるのは本当だから、下働きとかでいいから、俺、こんなんだけど働けるから、」
「サラム」
リュオの声が、いつもの柔らかさを取り戻している。
「印は、ただの目印だ。きみはわかっているはずだ。自分が『ヘルメス』であることを」
「あればわかりやすいけど、なくても本物は本物だよ。俺たちの目は節穴じゃない。お前は本物だ。大丈夫だよ」
涙が浮かびかけた目を何度か瞬かせて、子どもは――サラムは、またへらりと笑った。
「……『ヘルメス』は、下から数えてどのくらいなの? 俺、誰に従えばいい?」
そのへりくだった様に、リュオがそっと眉をひそめる。エクトはサラムを安心させる笑顔のまま、気にくわないへらへら笑顔をつまみ上げた。
目をぱちくりさせるサラムに、いいか、とエクトは言い含める。
「『ヘルメス』は、頂点に立つ十二神のうちの、一柱だ」
青い瞳が零れんばかりに大きくなる。
痩せこけていても柔らかなほっぺをつまみ上げるのをやめ、今度はそれをぐいぐいと押し潰す。
「あと、『ヘルメス』は智の神だ。お前が相当に頭がいいのはなんとなくわかってるんだから、もうわざと馬鹿な振りはしなくていいんだぞ」
わかったか? と言って手を離す。サラムはしばらく、呆然としていた。
「……俺が、思ってること言うと、みんな嫌な顔するんだ。殴られたり、食事抜かれたり……」
「ここでは逆だぞ、サラム。言いたいこと隠してへらへらしてたら、ほっぺ潰しの刑に処す!」
言いながら、泣きそうになっている子どもの頭をかき回す。
そうしているうちに、子どもらしい笑い声が聞こえてきた。
「なんだよそれ……もう、もういいから、わかったから!」
道化のような笑みではない、自然な笑顔を見れたことに安心する。
ほっとして親友の方を見ると、彼も似たような顔をして笑っていた。
憂さはあんまり晴らされてない上に、チキンゲームは実行されませんでした。
オリジナル「楽園」の、ファノン・ティニィ・フィリア・シリィです。また時間ができた時に、簡単なイラストを貼るようにします^^
(2011.8.17追記)画像はっつけました!
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ファノンは遠い目をしながら、考えることを放棄したくなった。
雪原の一角に、ぽつんと点る炎がある。
それは焚き火で、急激に襲ってきた雪と氷からなんとか回避できた枯れ枝を触媒に、ファノンが点したものだ。
貧弱な触媒に似合わず、炎は元気よく燃えている。
自然の法則を無視したその勢いは、ファノンの「力」によるもので、ついでに言うと、ここら一体はつい数分前までなんの変哲もない野原だった。
ファノンは炎に手をかざしながら視線を上げ、氷の粒がひときわ渦巻いている一画を見やる。
つい先日拾った新しい旅の同行者は、想像以上のトラブルメーカーだ。
「ファノーぐるっと結界張ってきたよ」
どうしようかなーと、考えている振りをしながら思考停止をしていたファノンの元に、緑色の髪の少女が跳ねてきた。
元が薄着の少女は、寒い寒いと言いながら、焚き火の方に駆けてくる。
「おーお疲れさん。ティニィ、保ちそうか?」
「まあ、なんとか? フィーもいるしね」
ティニィの視線を追うと、新たな同行者その2であるフィリアが、銀色の髪をふわふわと揺らしながら、にっこりと笑んでいるのが見えた。
そんな、にこにこしてる場合じゃないんだけどな! と思いながらも、ファノンもつられて笑い返す。
「フィー、寒くないか?」
「平気。シリィ、楽しそうね」
心から祝福を贈るような笑みと言葉に、ファノンは肩を落とす。ちょいちょい、とフィリアを手招いた。
ティニィと同じく、フィリアも十分に薄着である。もとは温暖な気候の中を旅していたのだからその格好に不思議なところはないのだが、突如吹雪に襲われている今になっても、フィリアは寒そうな素振りをしない。
平民の子どもが着るような、簡素なワンピース一枚だけしか着ていないフィリアは、寒くないのが不思議なくらいなのだが、ファノンはそのことについて深く考えないようにしている。
人外であるのか、人の中の異分子であるのかはわからないが、ファノン自らのことを鑑みても、人のことをとやかく言えるほど自分はノーマルではないという自覚がある。
「喜んでるところ悪いんだけどな」
「うん」
「そろそろ止めようと思うんだ」
くい、と親指で指した先、氷の粒で景色が凝っているあたりにいるシリィを示すと、フィリアはきょとんと首を傾げた。
「でも、楽しそうなのに」
「シリィはもっと、はた迷惑にならないように遊ぶことを覚えるべきなんだ」
そうなの? と、フィリアの浅葱の瞳がティニィを見る。
見かけだけなら最年少のティニィは、幼子に言い聞かせるようにフィリアに向き合った。
「結界が切れたら大惨事よ。あんたの大好きなお花が一輪も存在しない世界を作りたくないでしょ?」
眉を下げて、フィリアが頷く。
よし、と意味もなく重々しく頷くと、ファノンは「やりたくねーなー」と言いながら立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと俺の火で相殺してくるから」
「ちょ、嵐になるじゃない!」
「多少は仕方ねーだろ」
「多少ですむの!?」
冷気と熱気がぶつかりあったらどうなるか、想像に難くない。
しかもそのシリィの吹雪に対抗するだけの熱をぶつけるとなれば、生じる嵐の大きさは……あまり想像したくないものだ。
「じゃあそこで、ティニィが逆風を送ってさらに相殺を」
「結界が壊れるんじゃないかしら……」
だんだん嫌そうな顔になっていくティニィに、さもありなんと頷きながらも、まあやるしかないだろうなとファノンは考えている。
フィリアに結界を維持しておいてくれと頼むと、彼女は頷きつつも首を傾げた。なんだ。
「シリィにやめるように言えばいいんじゃないの?」
「え。声届くのか? 暴走してるだろ」
「歌なら」
こくりと頷くフィリアを、まじまじと見る。
「力」を暴走させた輩を止めるには「力」をぶつかるしかない、というのがファノンの長い人生の間に刻みこんだ常識だ。
時には「力」の行使者を殺さなくてはならない場合もある。
シリィの場合は力が飛び抜けている上に、精霊の寵愛も受けているようだから、間違って殺すようなことはないにしても、尋常じゃない被害は覚悟していたというのに。
「ノーダメージで?」
「うん。ファノとティーは結界の外に出ていてね」
マジかよ、と思ったのはファノンだけではないらしい。ティニィもフィリアをまじまじと見ていたが、まったく気負っている様子がない彼女にこれ以上の問答をぶつけるのは、なんとなく憚られた。
ノーダメージでだぞ、と念を押して、ティニィと連れ立って結界を出る。
途端に変わった空気の暖かさに、思わず息をついた。
「ファノが一番寒さに弱いわよね」
「俺が一番一般人だからなあ」
どこが、と小突いてくる拳は、見た目にそぐわずなかなかに重い。
適当にいなしながら、フィリアが失敗した時のために、とあれこれ思いを馳せていたファノンだが、唐突に消えた雪原に思わず唖然とする。
舞っていた氷と雪は言うまでもなく、地面を覆っていた白さが跡形もなく消えてしまった。
青々と広がる野原の向こう、しゃがみ込んで何事もなかったように笑いあっている銀色の一対を見やりながら、ファノンは喉の奥で「規格外」と呻いたのだった。
そう、さながら現実に在りながら夢を見続けているように。
彼女の焦点が定まるのはごく稀で、自分か父親――彼女が存在を認識する数少ない人間が名前を呼ぶ時だけ、微睡みから醒めるように、真っ黒な瞳に煌めきが点る。
そうして意志を灯した大きな瞳は黒曜石のようで、同じ「黒」でも自分とは種類が違うようだと、カイはしみじみ思うのだ。
「レイ」
白い花に埋もれて座る彼女に向かい合って、カイは明確な意志を持って名前を呼ぶ。
彼女に届くのは、言葉ではなく想いだ。思考まではどうかわからないが、少なくとも彼女には他者の感情を読む力がある。
読もうと思って読むのではなく、ただ「感じて」しまうのだろう。カイにも似たようなところがあるから、その感覚はなんとなくわかる。
他者の感情など煩わしいものでしかないけれど、彼女にとっては楔になる。
カイが、彼女の身体が存在している「ここ」に、意識を、あるいは魂をつなぎ止めておくための、楔だ。
「レイ、……レイ?」
いつもよりも反応が鈍い。
肩を掴んで揺さぶってもいいだろうかと思うが、身体に刺激を与えても無意味だということはよく知っている。
もう一度名を呼ぶために息を吸う。音となって吐き出すのをとどめるように、一陣の風が通り抜けた。
白い花弁を巻き上げて、彼女とカイの黒髪を乱す。白馨石(ぴゃっけいせき)に囲まれたこの空間で生まれた風は自然のものではなく、カイは顔を腕で庇いながら目をすがめた。
存在自体がエネルギーそのものの精霊は、上位になればなるほど、ちょっとした顕現でもこうして場の大気を乱していく。
姿が欠片も見えていない段階で風が狂うとは、一体なにが現れようとしているのか。
カイは息を詰めて注視したが、漆黒の目に止めることができたのは、母のものよりもまだ細い、たおやかな女の腕だけだった。
「……あ、ニイ、サマ」
「やっと気づいたか」
「ニイサマ」
カイを認めて、彼女が口元を綻ばせる。
五歳年下の妹は、表情が動けばしっかり年相応の五歳児に見える。
小さな手をカイに向かってうんと伸ばして、身体全体のバランスがそれについていかなくて、白い花の上にぽすんと倒れた。
カイは笑って、白い花びらを彼女の上に降らせた。目をぱちくりさせていた彼女は、降ってくる花弁を受けて、くすぐったそうに笑う。
「今日はなにを見てたんだ?」
「きょう、今日、は。お花を……お花になって」
「レイが? 花に?」
抱き起こして座らせてやりながら、カイは彼女にあわせてゆっくりと会話をする。
ふるりと少女が首を振ると、真っ直ぐな黒髪に引っかかっていた花弁がひらひらと舞い落ちた。
「お花……咲いたら散っちゃうから、咲いちゃだめよって。つぼみでいなさいって。かれないでって」
「言ったのはさっきの、女の精霊?」
ことんと首を傾げた後、またふるりと髪を揺らす。
要領を得ない会話は、けれどいつものことだ。
こうして会話をする目的は、彼女に言葉を教えることである。五歳になるまで沈黙の中で育ってきた彼女は、語彙力も乏しければ、概念も乏しい。
大っぴらに会いに来れない状態だが、だからこそ、一緒にいる間は彼女を「あちら」から引き戻して、カイは途切れることなく会話をする。
意識を向けてくれる人がいれば、彼女は「あちら」に行こうとはしない。「あちら」のものは、人間ほど明確な意志を持って彼女を呼ぶことはない。
ない、はずだ。
「レイ、どうせ見るなら、眠りの中で夢を見ろ。精霊たちの世界じゃなく、お前の願望が現れる世界を」
きょとん、と目を瞬かせる妹の頭を撫でる。さらさらした髪質は、自分のものによく似ている。
「お前がいる場所はここだよ、レイ。……早く区別をつけれるようにならなくちゃ」
彼女は瞬きをくり返すだけで、答えない。きっと意味がわからないのだろう。こちらと「あちら」があることすら、彼女にはわかっていないに違いない。
「もう遅い。お休み、レイ」
ふっくらとした頬をぺしぺしと撫でて、カイは自身も立ち上がる。また来るから、と告げる時には、もう瞳の煌めきが失せてしまっている。
ため息をついて、目を閉じさせた。踵を返したが、上衣の裾を引っ張られる。
瞠目して振り向くと、目の焦点が覚束ないながらも、彼女はカイを一生懸命に見ようとしている。
「おやすみ、なさい」
「……うん、お休み」
頭を撫でると、ふにゃりと笑う。カイも微笑んで、また明日、と呟いた。
花守の世界観に重要な精霊の説明もちらっと書いてみましたが、書けば書くほど蛇足のように思えてくる罠。わかりにくいよ! と思われましたら、すっぱりと削ってとばしてやってください(´v`)
+++
ここは大巫女の間。国の中心であり、ふたりの”黒の御子”を産んだ女性の住居でもある。
午前のうちに淡々と家庭教師に出された課題のすべてを終わらせたカイは、すべての付き人を置いて母親のもとへと赴いた。大巫女のもとへ行く時だけは、わざわざまかなくてもひとりになれるのがありがたい。
ひとりになりたい時は、自分でそういった機会をわざわざ作らなくてはいけないカイは、思いつくとよく母親のもとへ出向いた。大巫女の間は”力”に満ちていて常人では立ち入るのにかなりの気力を使うようだが、彼は気軽に訪ねていく。母親に会いに、というよりは、人の気配がない気軽な場所へ行く感覚で。何しろ母親は、そこに誰がいようと何があろうと関係なく、いつでも心を精霊の世界へと飛ばしているのだから。
けれど今日は、どこか様子が違った。頭を低くする侍女の傍らをすり抜けて扉の中へ足を踏み入れた途端、鳶色の瞳がまっすぐにカイを見て微笑んだ。
驚いて、ちょっと息をのむ。扉が完全に閉まったのを確認してから、彼は一直線に母親のもとへと歩を進めた。
天窓から落ちる色のついた光を浴びて、大巫女の瞳は確かにカイの姿を追ってくる。
「………かあさん」
「カイ」
「ひさし、ぶりだ。びっくりした。どれだけぶりか、覚えてる?」
「さあ、どれだけかしら。あちらの世界を見ていると、時を数えるのを忘れてしまうの」
涼やかな声が耳に心地いい。伸ばされたたおやかな手のひらに大人しく頭を撫でられながら、半年くらい、と、呟く。なるべく平静な声音で、待ちわびていたことを悟られないように。
正気を違えたと言われている母親が、本当に狂人になったわけではないと知っているのは、カイと父親を除けば大巫女の世話を一手に引き受けている年老いた侍女ひとりだけだ。普段夢見るように焦点の合わない瞳は、ここではなく精霊の世界を映している。精霊の世界を覗いて、魂をそちらの世界にゆだねて。そうして時たま、こちらに置き去りにされている身体の中に、彼女は還ってくるのだ。
「そう。そういえば、少し背が伸びたみたい」
「うん……どうかな。でもまだ、とうさんよりはだいぶ低いよ」
「そんな簡単に抜かしてしまっては、あの人が拗ねてしまうわ」
ふふ、と、柔らかな印象を与えるかんばせが、ほんの少し甘さを含んで笑み崩れる。お父さまに花を持たせておやりなさい、と優しく諭すその声が、大巫女ではなく完全に母親のものとなって、カイはやっと肩にいれていた僅かな力を抜いた。
母親は近いけれど、大巫女は遠い。カイにとって目の前にいる女性は、信頼のおける身内でありながら、自分のすべてを見透かす驚異の対象でもあった。精霊神にもっとも近しいところにいる大巫女は、ときおりカイの目にでさえ、人ではない、本能的に畏怖を感じる存在に映る。
「……いつもよりも顔つきがしっかりしてる。もしかして、今回は長くいる?」
「そうね、二日……三日は、無理かもしれないわ」
「一日いてくれれば上等だよ」
ほんのりと笑う母親に屈託なく笑いかけて、父さんを呼んでくる、と踵を返した。が、すぐに呼び止められる。振り向くと、母親はちょっと困ったような顔をして首を傾げていた。
「どうしたの」
「少し、あなたに……聞きたいことがあるのだけど」
「なに?」
手招きに従って、母親の側による。しゃらり、と衣擦れの音を響かせて彼女は立ち上がり、カイを下から覗き込むようにして跪いた。
「あの子に会った?」
会った? と疑問系で紡ぎながらも、事実をただ確認しているだけのようだった。カイはちょっとたじろいで、けれどすぐに小さく頷いた。怒られるような気配はない。
「会ったよ。少し、喋った」
「そう……。ね、カイ。あなたからは、あの子はどう見える?」
「どう、って……」
母親の意図が読めずに、思わず鳶色の瞳を凝視する。真っ直ぐに見返しても、臆することなく真っ直ぐに返ってくる瞳。久しく視線を合わせなかった母親のそれを懐かしいと感じる一方で、つい最近に似た形の、真っ黒な色彩に見返されたことを思い出す。そうして漠然と、母親が聞きたがっていることを理解した。
「かあさんに似てる。レイは、こっちの世界をあんまり見てないね」
「そう……見える?」
うん、と頷いた後で、レイカが大きな瞳を真っ直ぐ自分に向けてきたことを思い出す。精霊の世界を覗いていても、レイカはカイの視線に気づいていた。
「でも、完全にあっちにいってるわけじゃないみたいだ。かあさんみたいに、自分の意志とは関係なく、あっちの世界を見てるわけじゃなくて」
言いながら、あれ、と思う。これは変じゃないだろうか。
「……レイは、精霊の世界を、自由に覗き見できるのかな」
普通はそんなこと、できるものではないのだけれど。
母親の顔を伺うけれど、笑い飛ばしてくれるような気配はなかった。そわり、とうなじの産毛が逆立つ感覚がした。腕を見ると、寒くもないのに鳥肌が立っている。
精霊とはなにか。精霊の世界とはどういったものなのか。その実態を理解しているものはいない。強大な力を内に持ち、その存在の気配を色濃く感じられるカイでさえ、あれは何かと聞かれたら詳細には言えない。それでも説明しろと言われれば、「形のない、あらゆるもの」と答える。
精霊を見るのにはコツがいる、のだそうだ。カイ自身はとくに意識せずともやってのけるから、よくわからないのだけれど。闇雲に目を凝らしても、精霊は見えない。その姿をはっきりと知覚するには、精霊の気配を感じ取り、意識をその気配に添わせて、そしてそうっと輪郭を辿っていかなくてはならない。輪郭の線を結んで初めて、その全貌を「見る」ことができる。
だから、対象が強大になればなるほど、その作業は困難になる。下位精霊であれば、あれはもともと明確な形を持たないのだから、少し意識するだけでたいていの人間は光の靄として見ることができる。けれど高位精霊や精霊神になると、影しか見ることができなかったり、その気配だけで圧倒されて意識を持って行かれたりしてしまう。
それが単体の精霊でなく、世界にまで及ぶとなると、相当の負担だ。カイは夢見る間に垣間見たことしかないし、大巫女を務める母親でさえ、身体を置き去りにして意識を飛ばしてしまっている。
気軽に覗き、気軽に視線を逸らせるような、そんなものでは断じてないのに。
「……すごいね」
感嘆の言葉なんて、初めて紡いだ。カイは瞳を煌めかせて、顔一杯に笑顔を作る。
”黒”は特別なのだと、ずっと言われて育ってきた。けれど自分にとって普通であることが特別なのだと褒めそやされても実感はなく、なんの感慨も感じない。けれどレイカが、本当にそんなあり得ないようなことをやってのけているというのなら、それはすごいことなのだと、素直に思う。
「あなたはそこで、感心するのね」
眉尻を下げて、母親が笑う。愛おしそうに、困ったように。カイは目を瞬かせて、ゆっくりと立ち上がった母親の顔を目で追った。柔らかなかんばせが、愁いを帯びて僅かに翳る。
「わたしは、おそろしいわ」
「……かあさんが?」
「カイ、レイカはね、覗き見ているつもりではないのよ。あの子には、こちらとあちらの区別すらついていないのだと思うわ」
ほっそりとした指先を緩く組んで、憂い顔をそっと伏せる。
「物思うだけで世界が変わる、その不思議さにも気づいていないの。真っ新なのだわ。本当に、どうして………人であれば、人として生まれたのであれば、備わっているはずの情動が、あの子にはまるで感じられない」
ふ、とカイの頬をそよ風が撫でた。空気が動いて、ほのかに光る柔らかな靄が、嘆く母親を宥めるようにやんわりと取り巻く。
「人であるのに、あの子はとても、精霊に近い。決してこのまま朽ちさせたくはないのに、どうすればあの子のためになるのか……」
「かあさん」
「人として、生きてほしいの。”黒”を預かったせいで、あなたにも不自由をさせているわ。けれどあなたにも、きちんと自分で自分の道を選んでほしいと思ってる」
「俺は、そうしてると思う。特別だのなんだのと言われても、全然実感がないから」
心配しないで、と強く言い切る。哀しげに眉をひそめていた母親は、そうね、と小さく息をついてから、カイをじっと覗き込んだ。
「……ねえ、カイ。レイカをお願いね。あなたの妹を、可愛がってあげて」
「いいけど、ひとつ問題があるよ」
なあに、と首を傾げる母親に、カイはわざとしかめっ面しい顔を作ってみせた。
「とうさんには、レイには会うなって言われてるんだ。少し会って喋ったことも、とうさんには内緒にしてる」
「まあ……」
母親が父親を説得してくれることを期待しての言葉だったけれど、少し首を傾げた母親は、にこりと笑ってカイに言った。まるで少女のように、華奢な人差し指を一本、自分の口にそっと添えて。
「じゃあ、お父さまには内緒に、ね?」
難しいことを簡単に言ってくれるなと思いながら、カイは苦笑して、それでもはっきりと頷いた。
オリジ話を書くととたんに甘さが皆無になるこの不思議^^ なんだか続きそうな予感ですが、とりあえずは灰とレイカの邂逅までをお届けします><
なんかこう……世俗と隔たれた小さな国の中でのお話な感じです。精霊信仰が国の政をする上での軸で、実際に精霊と共存しているファンタジーです。
国で一番偉いのが大巫女ですが、実権を握るのは神殿内の官僚たち。大巫女とその夫の組み合わせで国をまとめるのがスタンダードです(大巫女は覡でも可)
世襲制ではないですが、「力(神通力っぽいもの)」が強い人が権力を握るので、そして「力」が強い血筋というものがあるので、結局は世襲っぽいです。
そんな設定がうにゃうにゃありつつ、てきとうに肩の力を抜いてお楽しみください^^
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全てを覆い安らぎへと導き
真っ暗闇の内から夜明けを誘う温もりの色彩
二つの”黒”は凶兆
全てを覆い欠片すらも遺さず
国に黄昏を、永遠の終末をもたらす色彩
大巫女の胎から二人目の”黒の子”が産まれた時、神殿は大変な騒ぎになったという。神殿の高官たちは速やかに箝口令を敷き、産褥に立ち会った侍女たちは強制的に口封じのまじないをかけられた。
老いて白くなった髪をつきあわせながら、高官たちは考える。”黒の子”の話はいまや神話だ。同じ世代に二人も”黒の子”が現れるなど、彼らの記憶の中には、そして彼らを数世代遡っても、かつて前例がなかったことなのだ。
しかしそれでも二人目の”黒の子”の存在は彼らに本能的な恐怖を与えた。一人目の”黒の子”の、日に日に濃くなっていく尋常ならざる空気に当てられている彼らだから、なおさらに。
「儀式をしよう」
「女神の供物に」
「高貴なる贄に」
ぽつり、ぽつり、と、控えめに、けれど断定的な言葉が落とされた。
しかし供物を捧げるには時期が。次の儀式はまだずいぶんと先の。
ざわりざわりと、次第に高ぶっていく感情と一緒に大きく揺らされる空気を、カツーンと高い音が遮った。
金属を石に打ち付けた音だ。高官たちが振り向くと、部屋に集まったものの中で一番の権威を持つ、壮年の男が静かな瞳で彼らを見据えていた。
真っ白い頭ばかりの中で、短く切りそろえられた濃い褐色の髪を持つ男がすっと席を立つ。彼は大巫女の夫で、二人の”黒の子”の父親だった。
「貴公らは、銀の女神がもたらされた神話の詳細をご存じか」
静かな問いかけは、静まりかえった部屋の中によく響く。壁面に使われている百馨石が白く煌めき、明かりのない部屋を薄ぼんやりと照らしていた。
「終末をもたらす”黒の子”は、身体に印が浮き上がるという」
さわり、と空気が揺れた。白髪の高官たちは目を見交わし、赤子に印がなかったことを確かめ合った。
「それは、精霊の御印のことですかな」
あごひげをたっぷり蓄えたひとりの老人が、どこか不遜な声音を発する。
「いかにも」
その老人は、一人目の”黒の子”には何も印が現れなかったということは、というもったいぶった前置きをした後、ちらりと男を睥睨した。
「であれば、印が現れるのは巫女姫が七の御歳になられた時。今はなくとも、浮き上がってくるに違いないでしょう」
重々しい言葉に、周りがざわめく。
「ではやはり、そうなる前に」
ひとりの男がふさふさとした白髪を揺らしながら身を乗り出した時、男が静かに口を開いた。
「貴公らは」
ふたたびざわめきだした老人たちを、静かな、けれどよく通る声で遮った。声音にも瞳にも特別な感情は伺えない。けれど冷厳なその雰囲気に、高官たちは口をつぐむ。
「自らの妄想じみた不安を解消する、まさにそれだけのために、今は廃れた供物の儀式を復活させてまで、いとけない幼子の命を奪うおつもりか」
静かな怒りが垣間見えた。父親だから、我が子だから、そういった情を感じさせない、ただただ純粋な怒りだ。場は静まりかえり、興奮に煽られ揺らめいていた空気が沈殿する。
男はぐるりと視線を一巡させると、カツーンと高い音を立ててレイピアの鞘を石床についた。それを合図に、決定がくだされる。
「赤子は神殿の奥へ。選りすぐりの侍女をつけ、七の時を迎えるまで丁重に育てる。また、”黒の子”同士が顔を合わせることのないよう、厳重に注意しろ」
事実上の隔離宣言に、高官たちはほっと息をついた。男はその様子を、かすかに苦みを混ぜた視線で見据え、それを彼らに悟られないうちにくるりと踵を返して部屋を後にした。
*
十になる誕生日を迎えた日、珍しいことに、神殿の長である父親に呼ばれた。公務として呼ばれるのはこれが初めてだけれど、漆黒の髪と漆黒の瞳を持つその少年は、取り立てて臆することなく執務室へと向かう。後ろからぞろぞろと教育係と称する侍女や教師が付いてきているが、彼はそれを空気のようにあしらい、自分ひとりだけを執務室の中に滑り込ませると、さっさと扉を閉じた。
「とうさん」
「カイ」
少年が入ってきたのを見て、褐色の髪の男も執務室にいた何人かを追い出した。残ったのは男と少年だけだ。部屋の中に二人だけになると、少年の顔はとたんに年相応のものになり、男は父親の顔になった。
「一応、公務で呼んだんだけどな。ひとりで来たのか?」
「俺はいつでもひとりだよ。いつも後ろにいるのはただの空気」
そんな可愛いものでもないけど、と呟く少年の髪を、男は近寄ってぐしゃぐしゃと撫でる。
「どいつもこいつも、俺を自分側に懐柔しようと躍起だよ。とうさん、”黒”っていうのはそんなに特別なものなのか?」
「お前が特別に強い力を持っているのは確かだな」
印は? と聞く男に、ないよ、と少年は腕を掲げて見せた。ぽんぽんと頭を撫でられながら、少年は背の高い父親を仰ぐ。大人びていても、態度が尊大でも、背は年相応にまだまだ低い。
「じゃあ、もうひとりは?」
「もうひとり?」
「妹」
真っ黒い瞳が、じいっと父親を見上げる。男はちょっとそれを眺めて、うん、と頷いた。「強いよ」
「俺より?」
「それはわからない」
ふうん、と呟く少年に笑って、男は彼をソファに座らせた。すっとした香りのするお茶を淹れて、少年の前に置いた。
「でも、お前より不安定なんだ。いろいろと」
「ふうん?」
「だから、もう会いに行っちゃ駄目だぞ」
お茶に口をつけていた少年が、ぐっとつまった。一瞬止まって、何事もなかったようにまたカップを傾けたけれど、慌てたように口を離す。
「熱いだろ」
「熱いよ……なんでばれたの。かあさんから?」
“黒の子”を二人も産んだことで、気が違ってしまった母親の名を平気で出す息子に、男は笑って首を振った。今では誰もが敬遠するようになった大巫女との交流を、精霊を介してこの少年はこともなげにやってのけてみせる。
「いや、レイカから」
レイカ、と少年が響きを舌で転がす。噛みしめるように。彼は妹の名すら知らされていなかったのだ。無意識のその動作を、男は愛おしむような憐れむような、少し複雑な表情で見た。
「でも、会いに行ったけど、会ってはないよ。見つけられなかった。レイカはなんで気づいたんだろ」
「見つけられなかった?」
精霊たちには口止めしたのに、と呟く少年を遮って、男が怪訝な顔をした。きょとんと、少年が顔を上げる。
「侍女と、変な信者みたいなのしかいなかった。花に埋もれた像をみんなで囲んでさ」
「ああ……そうか。見つけられなかったか」
怪訝な顔をさらっと消して、男はにっこりと、それは良かったと頷いた。少年は違和感を覚えながらも、それが何に対する違和感なのかがわからず眉をひそめる。
「とにかく、もう会いに行っちゃ駄目だぞ。お前の力が刺激になって、あの子に印が現れでもしたら大変だ」
「まだ五歳だろ?」
「七歳で現れるっていうのは一般的な精霊の印のことだ。”黒の子”の印は、ちょっと予測がつかない」
わかったな、という、男の珍しく厳しい表情に、少年は渋々ながらも頷いた。そうしてふと、顔を上げる。
「レイカは、どういう言霊を持つの」
「花だよ。華かな? 麗しの華。可愛いだろう、女の子らしくて」
「派手だね」
「母さんがつけたんだよ」
「俺は灰なのに。これは男らしいの?」
「……母さんがつけたからなあ」
苦笑する男に、少年は笑う。ある程度の意味は推し量れても、母親がどういう想いを込めて言霊をくれたか、いまいち理解ができない。それでも不満はないから、少年は上機嫌に紡いだ。
「光だと思った」
「何が?」
「レイ」
強く差し込む真っ直ぐな光。
詩人だな、と笑う父親に、少年は屈託なく返す。
レイカ。レイ。音の響きが気に入って、舌の上で転がす。やっぱりちらりとだけでも姿を見たいと、そう思う。
「話って、これだけ?」
「無断で抜け出したことへの説教もかねて。息抜きするなら、もう見つかるなよ」
「わかった。あと、とうさん」
「ん?」
ふーっとお茶を冷ましながら、少年はちらりと黒目を向ける。男はそれを受けて、ほんの少し目を細めた。
「さっきここにいた、ひげの男。アレは駄目だよ。近いうちに堕ちる」
「……そうか」
ふう、とため息をつく男から、少年はそっと目を逸らす。知らせておかなくてはいけないことだけれど、知らせたことで父親が落ち込むのは、なんとなく嫌なものだ。
「最近多いな。でも、それもそうか。お前たちが産まれてくるくらいだからな」
「”黒の子”のせい?」
「違うよ。”黒の子”が産まれてくるから国に異変が起きるんじゃない。異変が起きるから、”黒の子”が産まれてくるんだ」
漆黒の瞳で父親を見る。真っ直ぐ見返してくれる父親を。少年の瞳を真っ向から見据えられる人間を、彼は父親と母親以外に知らない。
「支え護るか、打ち壊すか。お前たちは、いつか選択をしなくちゃいけないかもしれない」
「護りたいものも壊したいものも、今のところ特にないんだけど」
「それは結構なことだ」
父親は大らかに笑い、ぐしゃぐしゃと少年の髪をかき回す。
王者の風格を持つ少年は、けれどまだ少年だったから、温かな手のひらに守られて、ぬくぬくと笑い、お茶の香りを楽しんだ。
夜陰に紛れて、少年は寝床を抜け出した。目指す先は広大な敷地の中でも特に奥まったところにある神殿。もっと言うと、そこで暮らしているはずの少年の妹のもとだ。
前回抜け出したのは明け方だったから、高い木の上に上っていた少年は朝日に照らされて、それで見つかってしまったのだろう。顔を見たことのない少女を見つけるには明るい中での方がいいだろうと考えた結果だったのだけれど、考えてみればこっそり動くには明るい中よりも暗い中の方がいいに決まっている。
地味な色の布を侍女がするように被った少年は、今度は明るい中遠くからではなく、暗い中近くで少女の姿を見ようと考えていた。
とは言っても、父親との約束があるから、顔の造作がわかるほど近くには行けない。けれど、少年はただ、美しい響きの名前を持つ、自分と同じ色彩を纏った妹が本当にいるのかどうかを自分の目で確かめたいだけだから、それでも構わないと思っていた。
ちらちらと目の前を横切る下位の精霊たちの光を頼りに、辺りをうかがいながら身軽な動きで進んでいく。前回登った木の下まで来て、硝子張りにされた中庭への入り口を見やった。
五歳の少女なのだから、きっともう眠っている。だから、まずはそれらしい部屋を見つけなくてはいけない。部屋は中庭を囲むようにぐるりとしつらえられている。どのあたりの部屋が一番間取りが広いかな、と考えながら、これまで以上に慎重に足を進めていく。
と、夜にしては中庭が明るいのに気づいた。ぐるりと周りを囲っている百馨石が月光を跳ね返しているのかと思ったけれど、違う。少年はあまり持ち合わせていない好奇心を発揮して、どきどきしながら、そっと中庭を覗いた。
覗いて、首を傾げる。光っているのは下位精霊だ。精霊自体はどこにでもいるから珍しくも何ともないけれど、中庭がぼんやりと明るくなるほど、なぜこんなに集まっているのだろう。
少年はあたりを見回して、人の気配がないことを確認すると、ゆっくりと光の中心に近づいていった。近づいて気づく。中心にあるのは、信者たちが取り囲んでいた像だ。白い布が被せられ、さらにその上を白い花が彩っているので、なんの形をしているのかはよくわからないけれど。
「……何か、特別な像なのかな」
下位精霊の光が、像を飾っている真っ白な花にちらちらと反射する。巫女姫のための神殿だからか、少年が寝起きしているところよりも、どうにも雰囲気が可愛らしい。
自分には似合わないな、となんとなく気恥ずかしくなりながら、なにげなく白い花をひとつ手に取った。甘い蜜の香りがする。母親が好きそうだ、と、そんなことを思った時、風もないのにはらはらと白い花が足下に落ちてきた。
軽く目を瞠って、少年はそれから改めて大きく見開いた。見下ろした先で、彫像が白い目蓋を開き、真っ黒な瞳でこちらを見ていた。
一拍おいて、白い布もはらりと落ちる。その下から、光に照らされて美しい銀色を帯びた艶やかな黒髪が現れた。
長い黒髪、白い肌、真っ黒な瞳。こうして動いたという事実があったにも関わらず、間近で見る少女の造作は怖いほど整っており、無表情に自分を見つめてくる少女はまるで人形のようだった。
レイカ。麗しの華。けれど、まるで色がない。驚いたのと、魅入ったので、少年はしばらく呆然とした面持ちで少女と見つめ合っていた。
「………セイレイ?」
小さく小さく、少女が呟く。幼い声は存外に人間くさくて、少年は少し肩の力を抜いた。
「俺が、精霊?」
「セイレイ? なら、しゃべってもいい? いいのよね?」
少年が目を瞬かせている間に、少女はもぞもぞと動き、白い花と白い布を身体の上からはらはらと零した。そうして立ち上がろうとして、べとっと転ぶ。
「………おい」
「あは、いいにおい」
ふふ、と笑う少女はまるで無邪気だ。倒れ込んで、寝ころんだままで、少年を見上げた。
「ねえ、あなたの名前は? はじめまして、でしょう? わたしは、レイカ」
少年は戸惑いながら、少女の傍らに膝をついた。花がいくつか潰されて、ふわりと甘い香りが上る。
「なんで俺を精霊だと思う?」
「だって、わたしを見てるもの」
少年はゆっくりと瞬きをする。無邪気に微笑みながらも、どこか焦点の合っていない少女の瞳を、その奥に目を凝らすようにじっと見つめた。少女は少年を見ている。けれど見ていないようにも思える。この感覚には、覚えがある。
「セイレイはわたしを見るのよ。ドウブツも。でも、ニンゲンは見ないの。それに、ニンゲンはとても汚い。汚いのよ。なんでニンゲンは、からだの真ん中に、あんな汚い、重いものを抱えているのかしら」
歌うように紡がれる言葉。無邪気な微笑み。目の前にあるものよりも、ほんの少しずれたところにあるものを見る瞳。
気を違えた母親と、まるで同じ。
「……俺は、汚くない?」
「きれいよ。すごく、きれい。それにね、それに……あのひとに似てる。大人の男の人の姿をした、背の高い。トウサマというの。知ってる?」
「父さま?」
「そう、トウサマ。知ってる?」
うん、と頷く。少年は混乱したまま、けれど嬉しそうに笑う少女の方に、そっと手を伸ばした。
小さな頭をそっと撫でる。触れてみれば温かくて、ただただ愛しい命がそこにあるのだと、そう思えた。
「俺はね、兄さま、だよ」
「ニイサマ?」
「そう。よろしく、レイ」
頭を撫でながら、瞳を覗き込むようにして笑いかけると、少女はぱちぱちと瞬きをした。視線が合う。焦点が合う。少女は目を細めて、花が咲き綻ぶように、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
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