伯爵と妖精、オリジナルなど。コメント等ありましたらお気軽にどうぞv
対象年齢はなんとなく中学生以上となっております(´v`*)
貴族の生活ってだいぶサイクルが乱れてるんだろうなーと思いつつ。
寝起きの無防備な姿っていいですよね!(*´ワ`*)
寝起きの無防備な姿っていいですよね!(*´ワ`*)
PR
「あら?」
いつも使っている、アシェンバート家の紋章が掘られた印がない。
午前中いっぱいを使って手紙を書き終えて、さあ封をしようと気合いを入れ直した途端に出鼻をくじかれ、リディアは困ったわと思いながら引き出しの中をごそごそと漁る。
「どうかなさいました?」
「ええ……ケリー、印を知らない? いつもこの引き出しに入れてあるのに」
「それでしたら、だいぶ模様がつぶれてきたからといって、トムキンスさんが修理に出されましたよ」
そうだったの、と頷いて、あちこち覗き込むのをやめて姿勢を正す。
「エドガーに借りてこようかしら……」
時計を見ると、正午を過ぎたところだ。
リディアも今日はゆっくり目に起きてブランチをいただいたけれど、エドガーは多分まだ眠っている。
昨夜は一緒に夜会に出席したのだけれど、紳士方がそこでおもむろに商談を始めたため、エドガーは抜けるに抜けられなくなってしまったのだ。
先に帰って休んでて、と言われたリディアが邸に着いたのは深夜過ぎ。エドガーが帰ってきたのは、明け方近くだという。
「行って参りましょうか?」
「ううん、あたしが行くわ。書斎の机は鍵がかかってるもの」
そして鍵は寝室にある棚の中にある。人の気配に聡いエドガーだから、もしかしたら起こしてしまうかもしれない。
もし不本意な目覚めでも、起こした相手がリディアなら彼は怒らないだろう。
「他に嘆願書がないか、もう一度確認しておいてくれる?」
「かしこまりました」
ぺこりと頭を垂れたケリーに笑いかけて、リディアは仕事部屋をあとにした。
そっと寝室の扉を開けて、中を伺う。
部屋は静かで、人の気配もないように思えたけれど、耳を澄ますと微かに呼吸音が聞こえてくる。
まだ眠ってるみたい。
軋むことのない扉だから、最後に閉めるときだけ神経を使い、リディアは柔らかな絨毯をゆっくりとした足取りで踏む。
棚に向かう前にちらりと寝台を見ると、帳が開け放たれたままのベッドの上にエドガーが寝転がっているのが見える。
寝間着に着替えてはいるけれど、上掛けの上に横たわっているエドガーに、寒くないのかしらと心配になった。
いまさらかもしれないが、毛布を取ってきて上に掛けてやる。
閉じた瞼の下が黒ずんでいて、ああ疲れてるんだわ、と眉を曇らせた。
そんなに大事な商談なら、もっと場を改めて進めればいいのに。それとも、商談というのは二の次で、男性にとってはああいった交流が大事なのだろうか。
そっと頬に指を当てると、心なしかひんやりとしている。やっぱり冷えちゃったかしらと思いながら指を首に滑らせて、そこが温かいことに安堵した。
とく、とく、脈動を感じる。
なんとはなしに触れながら、いつ頃起こしにこればいいかしら、と考える。
「………」
規則的だった呼吸が乱れ、ん、と低く呟くような声が聞こえた。
慌てて手を離し、エドガーを見守る。彼はぎゅっと目を瞑って眉間に皺を寄せてから、ゆっくりと灰紫の瞳を現した。
「リディア」
「起こしちゃった……? まだ、寝てて大丈夫よ」
うん、と呟くエドガーは寝ぼけ眼で何度も瞬きを繰り返す。そのまま目蓋が落ちてしまったから、また眠るんだろうと思ったのに、いつの間にかしっかりと腕を掴まれていた。
「エドガー?」
「……おい、で」
寝ぼけていても、エドガーの力は強い。
リディアは手から鍵を、足から部屋履きを床に落として、大人しくエドガーの腕の中に収まった。
上掛けを身体の下に敷いて、律儀に毛布をリディアにまで掛けてくれるエドガーに、ふと笑みがこぼれる。
息を吸い込むと身に馴染んだエドガーの匂いを強く感じる。ここのところ一緒に眠っていないことを思い出すと、リディアの腕は自然とエドガーの身体に添えられる。
目を閉じたまま、それでも起きようとしているらしいエドガーは、リディアを抱きしめた腕をごそごそと緩慢に動かしている。
いつものように身体の線を辿っているのだろうけれど、夜着とは違い昼のドレスは何枚も重ねてきているから、リディアにはいまいち手の動きがわからず、羞恥も薄い。
温もりの心地よさに浸りながら静かにしていると、エドガーが不満げに呻いた。
「……コルセット、外していい?」
「なに言ってるのよ」
「やわらかいのがいい……」
指が髪に差し込まれて、ぎゅむ、と抱きしめられる。
頭にすり寄られて、リディアはくすくすと笑う。
「エドガー、ちくちくするわ」
「ん……そう?」
「ええ。もうお昼だもの」
「昼……」
腕を緩めて身じろぎをしたエドガーは、本当だ、と呟いた。視線の先を追うと、置き時計の短針が12と1の間を指している。
「お腹がすくと思った」
「起きて、なにか食べる?」
「うん……リディアは?」
「ブランチをいただいたの。だからまだお腹空いてなくて……」
身を起こすエドガーにあわせて、リディアも半身を起こす。乱れた髪を手櫛で整えると、エドガーに引き寄せられて頬にキスを受けた。
「おはよう、リディア」
「おはよう、エドガー」
何かをねだるように見つめてくるエドガーの頬を撫でて、ちょっとちくちくした感触を感じながらキスを返した。
「起きるならレイヴンを呼ぶわ。身支度ができた頃にランチにしてもらいましょうか」
「ああ、ごめん……痛かった?」
「痛くないけど、なんだかエドガー、違う人みたい」
いつもきちんと身なりを整えている人だから、少し無精髭があるだけでも印象が変わる。
妻であってもあまり見ない姿が珍しくて、リディアはにこにこと笑う。
ベッドからおりて部屋履きを履き、鍵を拾った。
「あとね、隈ができてるの。今日は用事もないし、ゆっくり休んでね」
「ありがとう。昨日はちょっと、酒が入りすぎたね」
お仕事の話じゃなかったの?
振り返って文句を言おうとして、エドガーが寝間着を躊躇なく脱ぎ捨てているところに鉢会い、慌てて目を逸らす。
「見ててくれていいのに」
「……ばか!」
くすくすと笑うエドガーを置いて、リディアは赤い顔を背けたまま、さっさと寝室を抜け出した。
最近、ゼリーの中ではゆずが一番好きです。
桃も好き。リンゴも好き。
ちょっと味が濃いめなのは、だんだん苦手になってきました(´ワ`)
そんなわけで脈絡もなく、教師と生徒パロのエドリディです。現代です。とくに教師やってるわけでも生徒やってるわけでもないですが。
連載の口直し(?)にどぞー^^*
桃も好き。リンゴも好き。
ちょっと味が濃いめなのは、だんだん苦手になってきました(´ワ`)
そんなわけで脈絡もなく、教師と生徒パロのエドリディです。現代です。とくに教師やってるわけでも生徒やってるわけでもないですが。
連載の口直し(?)にどぞー^^*
リディアからのメールに、ぽちぽちと長めの返信を返し終わったところで、やっとタクシーが家に着いた。
もう月が高いな、と思いながら、チップ込みの適当な料金を支払う。大きな門の前でインターフォンに向かって帰宅を告げると、門がゆっくりと開き、彼を敷地内へ誘った。
疲れた。ふ、とため息をつく。
今日は一日出張で、まったくリディアの姿を見ていない。
その代わりとでも言うように、メールのやりとりはいつもよりも長く続いたけれど、それはそれで嬉しいことだけれど、やっぱり毎日顔を見て抱きしめたい。
明日の朝、早めに家を出て迎えに行こうかな、と思う。教授が出かけた頃を見計らえば、リディアもエドガーをむげにしたりはしないだろう。
出迎えたレイヴンに鞄と上着を預ける。軽く食事をとろうか、それともシャワーにしようかと思いあぐねているところで、レイヴンに「リディアさんがお待ちです」と告げられた。
「え?」
「1時間ほど前にいらっしゃいました。応接間の方でくつろいでいらっしゃいます」
「え、リディアが? 家に? 今?」
「はい」
「何かあったとか? いや、それならメールをくれるよな……リディアの様子は?」
「お元気そうです」
淡々と告げられて、エドガーはちょっと混乱する。平日の夜に、しかもエドガーが誘ったわけでもないのに、リディアがエドガーの家にいるなんて初めてだ。
無意味に着ている服をはたいて、髪を撫でつける。疲れた気分が一瞬で吹き飛んでしまった。
あとでお茶を持ってきてくれ、とレイヴンに告げて、エドガーははやる気持ちそのままに応接間に足を向けた。
こんこん、とノックをすると、中から女性らしい、可愛らしい声が聞こえてきた。
一声かけて扉を開けると、膝に置いた本から目線を上げたリディアが、エドガーを見て微笑む。
「おかえりなさい、エドガー」
「うん……ただいま」
どうしてだか、ちょっと照れくさい。
リディアの隣に腰を下ろして、そのままぎゅっと抱きしめた。
「ただいま。きみが待っていてくれるなんて、びっくりしたよ……すごく嬉しい。今日は、どうしたの?」
頬に唇を当てて、身体をちょっと離す。改めて華奢な身体を見下ろすと、リディアは私服だ。学校から一度家に戻って、それから出かけてきてくれたのだろう。
「あ、あのね。ええと、その、大した用じゃないんだけど……」
ごそごそと身じろいで、小さなバッグから出してきたのは、保冷剤と一緒に包まれたいかにも手作り、といった風情のゼリーだ。
ゆずのゼリーなの、という説明を聞きながら、思わずまじまじと見てしまう。薄い金色の底に、ピール上にしたゆずがきらきらと輝いている。こんな宝石がどこかにあった気がする、と思いながら、エドガーは相好を崩した。
「これ、わざわざ僕に?」
「あの、調理実習で作ったの。ただのゼリーだし、本当は自分で食べちゃおうかと思ったんだけど……」
「うん」
「……疲れてる時は、甘いものを食べるといいかしら、って。思って」
ああ、と納得する。今日のメールのやりとりで、エドガーは一言だけ、ついリディアに甘えてしまったのだ。
今日は少し疲れちゃったよ、と。メール越しにでもリディアに励ましてもらえれば、それだけで頑張れるから、という期待を込めて。
それが、まさかこんなふうに励ましてもらえるなんて。
「ありがとう。ごめんね、心配かけたね」
「ううん、いいの。あなた、滅多に疲れたとか言わないでしょ? ちょうど手元にゼリーがあって、あたしでも何かしてあげられると思ったから」
だから、来たの。迷惑だったかもしれないけど……ゼリー、食べちゃう前でよかったわ。
リディアの頭に頬を寄せるエドガーに、彼女はくすぐったそうに微笑んだ。
「お疲れさま、エドガー」
ゼリーをそっとテーブルに置いてから、エドガーは改めて両手でリディアの頬を挟む。額にひとつ、鼻先にひとつキスを落とし、金緑の瞳が隠されたのを確認してから、柔らかな唇を啄んだ。
リディアが苦しがるまで重ねて、つ、と離す。薄紅色の唇からしたたり落ちそうな水分をぺろりと舐めとり、むぎゅ、と抱きしめる。
「リディア、夕飯は食べた?」
「ううん、まだ……だけど」
「教授は自宅? こっちで一緒に食べようよ。迎えを寄こすから」
「父さまは、今朝から泊まりで……」
言いかけたリディアが、あ、と微かな声を上げて黙った。エドガーは聞き漏らすことなく、身体を離そうとしたリディアをさらに深く抱き寄せる。
「教授、いないの?」
「あ、ええと、あの、ええと、ニ、ニコが待ってるから…!」
「じゃあニコを呼ぼう。レイヴンも喜ぶから」
「あの、でも、明日学校だし、制服持ってないし、そもそも着替えとか、宿題とか…!」
「制服も着替えもうちにあるじゃないか。それに、今日は宿題なんて出てないだろ? 唯一宿題を出してる僕が、今日は自習の日だったんだから」
「そ……でも、父さまがいない時に、無断外泊なんて……」
「なんなら連絡しておくよ。すごい雨で雷も鳴ってて、ひとりにしておくのは不安だから、今日はうちで預かりますって」
「いつ雨が降って雷が鳴ったのよ…! 今日は一日中すごくいい天気だったのに!」
「大丈夫だよ、局地的な大雨なんて、天気予報にそうはのらないから」
そういう問題じゃない、と主張するリディアに、エドガーはこつんと額をあわせる。
「ねえ。なにも取って喰おうとしてるわけじゃないんだから」
「ほ、本当に?」
おずおずと視線を合わせてくるリディアに、もちろん、と頷きながら、エドガーはにっこりと微笑む。
「おいしくいただこうとは思ってるけど」
「は!?」
固まってしまったリディアに、ゼリーをね、とつけたす。にやにや笑いながら彼女の真っ赤な顔を眺めていると、からかわれたことに気づいたリディアが、もう! とそっぽを向いてしまった。
くすくすと笑って、髪を撫でる。振り払われないのをいいことに、指を深くまで差し込んで、地肌を撫でた。
「……泊まっていって、リディア」
ね? と耳元で囁いて、甘く耳朶を噛む。ぴくりと動いた肩と、みるみるうちに赤く染まっていく肌に、エドガーは満足げに微笑んだ。
「……明日、駅まで送ってくれる?」
「もちろん。きみの家まで、鞄を取りに行かなくちゃいけないしね」
目的地が同じなのに、リディアだけ駅に置いていくのは心苦しいけれど、教師と生徒が同じ車に乗って学校へ行くわけにもいかない。
「あと、一緒には寝ないから」
ぽそり、と付け足された言葉に、エドガーは目を丸くする。
「ええっ、そうなの? 心配しなくても、限界まで頑張るとかそんな無茶な真似はしな」
「当たり前よ! そうじゃなくて、それもあるけど、とにかく、寝ないの!」
えー、と、思わず不満げな声が漏れてしまう。きっ、とリディアに睨まれて、肩を竦めて諦めた。
週末にはデートをするのだし。今ここで機嫌を損ねて、その計画まで流れてしまうのは避けたい。
やんわりと頬を撫でて了承を伝えると、リディアの表情がほっと緩んだ。
ひとつ頷いただけで、こんなにも無防備になってしまうリディアを愛しく思う。こんなふうにあからさまな信頼を預けてくれるようになったのは、いつからのことだっただろうか。
「愛してるよ、リディア」
突然の告白に思えたのだろうか。リディアは目を瞬かせたあと、それでもやんわりと、幸せそうに微笑んだ。
か、どうかは知りませんが^^
現代新婚さんパロです。新婚さんになる前日のお話。
拍手コメントでいただいたネタ(?)を使わせていただきました…!
インスピをくださってありがとうございました><
現代新婚さんパロです。新婚さんになる前日のお話。
拍手コメントでいただいたネタ(?)を使わせていただきました…!
インスピをくださってありがとうございました><
結婚式を明日に控えた日の午前、リディアはそわそわした気持ちを抱えながら、馴染みになった豪邸の一室にちょこんと座っていた。
ここがもうすぐ自分の住居となるのがまだ信じられない。エドガーとの生活も、実質的にセレブの仲間入りを果たすことも、まだ全然実感できていなかった。
雲を掴むような話だったはずなのだ。手に掴んだものがどんな形になるのか、想像できないのは当たり前のように思う。
エドガーはそんなリディアを見守りつつ、実際には早く実感を持ってほしいと、少し焦れているようだけれど。
こんこん、とドアがノックされて、リディアはぱっと顔を上げる。
「リディア、お茶が入ったよ」
「ありがとう。……あ、手伝うわ」
「お客さんでいれるのは今日までなんだから、もてなさせてくれ」
立ち上がりかけたところをやんわり制されて、またぽすんと柔らかなクッションに身をゆだねた。
エドガーの私室の、このソファはリディアのお気に入りだ。丸いフォルムによくきいたスプリング。そこに弾力のある円筒形のクッションが置いてあるのがまたいい。
もうすっかり癖になってしまった動作でクッションを膝に乗せて手慰みに弄っている。リディアがエドガーの優雅な動作に見惚れている間に、紅茶が綺麗に色づいた。
「さあどうぞ。ミルクはいる?」
「ええ。あ、お砂糖はいいわ……あの、ごめんなさい、お菓子も」
「今日くらい、いいんじゃないか? ひとつふたつ食べたところで、ドレスがはいらなくなるなんてことないよ」
くすくすと笑いながら、エドガーが隣に腰掛ける。むう、とテーブルの上に乗った可愛らしい焼き菓子を見ながら、リディアはしばし葛藤した。
もともとお菓子がなければ生きていけない、なんてことはないのだけれど、ウエディングドレスを綺麗に着こなすために、ここ数週間リディアは完全にティータイムのお菓子を絶っていた。
口にするのはもっぱら食後のゼリーやシャーベットだけなので、そろそろ口寂しくなってきているのは確かだ。
けれど。
「……エステシャンの方と、結婚式までは我慢するって約束したの」
だから我慢、と。自らを戒めるようにテーブルから身を引いてソファに深く埋もれる。
エドガーの指先が前髪をはらって、あらわになった額に彼の唇が落ちてきた。
「肌の一番の天敵はストレスだよ?」
「一番のストレスは甘いものが食べられないことじゃなくて、緊張だもの」
呟いて、温かい紅茶をこくんと飲む。
エドガーが選んでくれた品種は、砂糖を入れなくても十分に甘く感じる上等の紅茶だ。おいしさに眦を緩めていると、肩を引かれてゆっくりと抱き寄せられた。
「うまくいくよ。最高の結婚式になる。リディアも頑張ったし、ポールやロタは今も準備を続けてくれてるからね。だから大丈夫」
包まれて宥められて、ほっこりとしながら微笑んだ。
結婚式には友人たちも来るけれど、エドガーつながりの上院議員や、リディアにはいまいち見分けのつかないお偉いさんもたくさん来るらしい。
リディアの今までの生活とはまったく違う世界へ飛び込んでいくことに、不安も緊張もあるけれど、実際は言葉にするほど深刻に思っているわけでもない。
大丈夫、と言ってくれるエドガーが隣にいれば、リディアはなんとかやっていけると思っている。
「……晴れるといいわね」
「きみが隣にいてくれれば、天気なんて関係ないな」
こめかみにキスを受けて、くすくすと笑う。
紅茶が零れちゃう、と抗議するまで、しばらくじゃれつくような戯れが続いた。
「あ、ねえエドガー。ブーケトスなんだけど、やっぱり前を向いたまま投げようと思うの。後ろ向きで投げてみたんだけど、全然飛ばなくて」
「そんなすごく飛ばす必要はないよ?」
「わかってるわよ。でも、1メートルも飛ばないのよ? 地面に落ちちゃうわ」
それは困ったね、と笑いながら、エドガーがふと首を傾げる。
「サプライズでロタにあげるっていう話はどうなったの?」
「だってロタ、いらないって言うんだもの」
「まあ、彼女ならそう言うだろうけど……残念だな、からかおうと思ってたのに」
「……あなたがそういうことするから、もっと嫌がるんじゃないかしら」
「ロタの神経がそんなに細いわけないだろ?」
言い切るエドガーを、ちょっとまじまじと見てしまう。
エドガーとロタの関係は喧嘩仲間とでも言うのだろうか。ロタが絡むと、エドガーがいつもよりも大人げなく振る舞うので、ちょっと楽しい。
「エドガー、ロタのこと好きよね」
「……リディア、気持ち悪いこと言わないでくれ」
「だって、仲よしじゃない」
大好きな友達と大好きな人の仲がいいのは嬉しい。にこにこと笑うと、エドガーはひとつ息をついて肩を竦めた。
「正面を向いて投げるなら、目隠ししてあげるよ。それなら後ろ向きとそんなに変わらないんじゃないかな」
「わかったわ」
それでね、あとはね、と、話を続けようとするリディアにエドガーはちょっと苦笑する。リディア、と柔らかく名前を呼ばれて、視線を合わせた。
「明日に備えてリラックスするためにって、ロタたちがくれた時間だろ? あんまり気負わないで」
「だって……考えないなんて無理だわ」
まあ、そうだろうけど。ひとつ頷いたエドガーは、リディアの気を逸らそうとしたのか、不意に違う話題を振ってきた。
「ブーケトスと言えば、リディア、ガータートスって知ってる?」
ちょっとやってみたいと思ってるんだけど。と、なんだかきらきらした顔で微笑まれて、リディアはちょっと警戒した。
ふたりの結婚式だし、リディアの提案はほとんど受け入れてもらっているから、エドガーがやりたいというのなら叶えてあげたい……けれど、彼は突飛なことでも普通に言い出すから、二つ返事では頷けない。
「ガーターって……あの、……下着の?」
「結婚式で使うのは、装飾用のガーターベルトだよ。ストッキングの上につけるんだって」
「つける、の? え、でも、トスって、投げるんじゃ」
身につけていたら投げれないではないか。困惑するリディアに向かって、だからね、とエドガーは楽しそうに言う。
「新婦が身につけてるガーターを、新郎が取ってあげるんだよ」
「…………」
「ドレスの中に潜り込んで、口でベルトを外すのが正式らしいけど。手だけ入れて手探りで脱がせるっていうのもそれはそれで……」
「絶対! やりません! から!」
顔を真っ赤にさせて爆発したリディアに、エドガーは「えー?」と可愛い子ぶった声を上げる。これは完全にからかっている態度だ。
にやにや笑いのエドガーを、リディアはできるだけ怖い顔で睨みつける。
「アメリカの伝統的な儀式だよ?」
「ここはイギリスなの!」
「イギリスでだって、やってるカップルはいるけどな」
どうしてもだめ? と首を傾けるエドガーに、リディアは力いっぱい頷く。
常識外れというほど度を超した催しではない、とは思う。浮き名を流してきたエドガーがいかにもやりそうなこと、と笑って見てくれる人もいるだろう。
けれど、リディアは嫌だ。というか、無理だ。そうとうに奥手な彼女にとってはエドガーからのキスだって人前では遠慮したいと思うのに、結婚式でドレスの中に潜り込まれるなんて、耐えられるわけがない。
エドガーだって、リディアが絶対に嫌がるとわかってるのに、どうしてそんなことを言い出すのだろうか。
ぐるぐると考えている内に羞恥と興奮で涙が出てきたらしい。視界が曇ったと思ったら、エドガーの慌てた声が聞こえてきた。
目を瞬かせたら、ぽろり、と頬に涙が落ちた。
「リディア、心配しなくても無理強いなんてしないよ。泣くほど嫌だったの?」
「い、嫌だけど……これは、違うの」
ぎゅっと抱きしめられた腕の中で、すん、とはなをすする。そうしてこっそり反省した。
「あたし、あなたに頼りっきりなんだわ……」
「全部、任せてくれて構わないよ。君が頼ってくれるのは嬉しい」
「ううん。そんな一方的なの、嫌」
嫌だけれど、しばらくはエドガーに甘えさせてもらうしかないだろう。
エドガーとの結婚を決めたことは、リディアにとっては大変なことだった。大変な決断を実践するのは、きっともっと大変なことになるだろう。
彼がいてくれるから大丈夫。そう思って歩んできたリディアは、本当に大丈夫になったわけではなくて、大丈夫だとずっと自分に言い聞かせてきているのだ。
だからこんなにも脆い。ちょっとからかわれて、不安を煽られただけで泣いてしまうなんて。
逞しい胸に凭れながら、ごめんなさい、と心の中で呟く。
「ごめんね」
「え?」
「ケリーとロタが、きみのこと不安定になってるって言ってたんだけど、僕にはそんなふうに見えなかったから。一生懸命に計画してる結婚式のことで、からかうなんて考えなしだった」
ごめんね、ともう一度言われて、リディアは狼狽える。
「あ……あたしのリアクションが、オーバーだったのよ。あんなの、泣くようなことじゃないわ」
「それだけリディアが頑張ってるってことだよ。……ロタたちが休憩を作ってくれたことに感謝しなくちゃね。きみは根を詰めすぎるから」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、なんだか気恥ずかしくなる。
いったいどれだけの人に、守られて、優しさをもらっているのだろう。
「いっぱい、感謝するわ」
もぞもぞと動いて、エドガーの腕を抜け出した。穏やかに微笑んでる彼をちらりと見て、はにかんで笑う。
「明日……よろしく、ね。エドガー」
「もちろん。こちらこそ、よろしく」
幸せそうに目を細めたエドガーがそっと顔を寄せ、柔らかなリディアの唇に、触れるだけのキスした。
続、というか、こちらが本来書こうと思っていたお話です^^
前回上げたものは、時間がなくてさわりしか書けませんでした……(えへ)
ずっと書く書く言っていた、エドガーがちびにゃんこに距離を置かれる原因になったお話です。といっても、いろいろと矛盾がありますので、これはこれとして楽しんでいただくのがいいかな、と思います><
とか言いつつ猫部屋閉鎖してしまったので、今現在は作品が見れないのですが(爆
また時間見つけて、とりあえず管理人の作品だけサイトの方にアップしたいと思います。変なタイミングで変なのアップしてすみません…!
ひとつの記事にしては長めの、ちびにゃんことエドガーのお話です^^
+++
前回上げたものは、時間がなくてさわりしか書けませんでした……(えへ)
ずっと書く書く言っていた、エドガーがちびにゃんこに距離を置かれる原因になったお話です。といっても、いろいろと矛盾がありますので、これはこれとして楽しんでいただくのがいいかな、と思います><
とか言いつつ猫部屋閉鎖してしまったので、今現在は作品が見れないのですが(爆
また時間見つけて、とりあえず管理人の作品だけサイトの方にアップしたいと思います。変なタイミングで変なのアップしてすみません…!
ひとつの記事にしては長めの、ちびにゃんことエドガーのお話です^^
+++
送られてきた手紙に目を通しながら、エドガーは秀麗な眉を、つ、とひそめた。
送り主はアシェンバート伯爵家の領地のひとつ、イギリスの南部にある、ファハムという村の長からだった。
先日の大雨で、領地の境界線を決める川が氾濫した。それに乗じて隣接する領主が、故意にこちらの領地を浸食するように、新しい堤防を作ろうとしているらしい。川の周囲は閑散地だし、別に辺境の領地が数エーカー小さくなろうとも大した問題ではないと思っている。ただしそれが、自然が新たに敷いた境界線ならば、の話だけれど。
「僕のものに手を出そうなんて、いい根性をしている」
確か、領主はなんとかという男爵だった。爵位はエドガーよりも低いけれど、外国帰りの若造と、何かとこちらを挑発する態度を取ってくる男だ。貴族院では数々の有力な大貴族と親交を持っているため、エドガーも煩わしく思いながら粗末な扱いをすることができずにいたのだけれど。
「飛んで火に入る、かな」
領地が危機に遭っているという報せにもかかわらず、エドガーは楽しそうにくすりと笑む。さあ、どうしようかな、と呟く声はひどく楽しげだった。
けれどふと、我に返る。これを機に男爵を追い落とすことに迷いはないのだけれど。
「リディアは……連れて行けないよな」
考えるまでもないことだけれど、思わず呟く。ファハムまで行くとなると、往復で最低3日はかかる。騒動を片付けるのにかかる時間を考えると、だいたい1週間というところだろうか。
大丈夫だろうか。
ベルを鳴らして、レイヴンを呼んだ。
「失礼します」
「レイヴン、リディアは?」
「30分前にミルクをお持ちしましたので、今頃はお休みになっているかと」
「お前を見て、リディアは逃げた?」
「いえ……ミルクだとわかると、寄ってらっしゃいました」
へえ、とエドガーは声を上げる。レイヴンには初めから、メイドたちに対してほど強い警戒心は持っていなかったけれど、自分から寄って行くだなんてことをする素振りもなかったのに。
「ずいぶん慣れてきたみたいだね」
「そうでしょうか」
「うん、じゃあお前にリディアのことを任せようかな」
微かに首を傾げるレイヴンに向かって、エドガーはにっこりと笑いかけた。
「ファハムで問題が起こってね。解決のために1週間ほど邸を空けるから、その間、リディアのことを頼んだよ」
*
頬を優しくつつかれた。くすぐったくて、んむんむと口元を歪ませると、くすりと笑う音が聞こえる。
なんとなくその気配が慕わしくて、リディアはうっすらと目蓋を開いた。まだ暗い室内の中、見慣れた金色がうっすらと白く浮かび上がる。何度か目を瞬かせると、その下に優しい笑みを浮かべたエドガーの表情が見えた。
「リディア」
「………みぃ」
眠いの、という多少の抗議を含みながら、呟くように返す。大きな手のひらに優しく撫でられて、リディアはうっとりと瞼を閉じた。
そのまままた眠りの淵に落ちていきそうなところへ、エドガーの柔らかなテノールが囁きかける。
「少し、出かけてくるね。レイヴンの言うことを聞いて、いい子にしているだよ」
出かける? なら、今日の朝と、もしかしてお昼も、一緒にごはんを食べることはできないのだろうか。エドガーに食べさせてもらう蜂蜜を、とても楽しみにしてるのに。
みう、と音にならない鳴き声を上げる。それを受けてかどうか、愛してるよ、という囁き声と一緒に、優しい感触が額に落ちた。
ああ、行ってしまう。連れて行ってくれればいいのに。
リディアはうとうとまどろみながら、出会ったばかりの、一日中一緒に入れた時のことを、ほんの少し寂しい気持ちで想い出していた。
ぱちりと目を開けるとエドガーの姿はどこにもなく、部屋の中はずいぶんと明るくなっていた。うん、と伸びをして、リディアと一緒にクッションに埋もれている蜂蜜の瓶を確認する。エドガーからもらった、これはリディアの宝物だ。誰も取らないよ、とエドガーには言われたけれど、毎朝確認しては、ほっとしているリディアだった。
「みう」
リディアの寝相で乱れてしまったクッションを整えて、蜂蜜の瓶を丁寧にそこにおろす。ひとりで持つと少し重いけれど、その重さもリディアには嬉しかった。
耳の裏を軽く握った手でかいかいと撫でて、清潔なシーツのおかげでどこも汚れていないほっぺもぐるぐるとこする。最後に尻尾に毛玉ができていないかを確認して、リディアは元気よくベッドから飛び降りた。
起きたら朝のご飯だ。ミルクが大好きなのはもちろんだけれど、ふわふわした黄色い卵や、柔らかくて薄く塩味のきいている緑の野菜もそれなりに好きだ。食べ慣れないものばかりで最初は警戒しいしい食べていたけれど、エドガーがひとつひとつ教えてくれるから、だいぶ食べ物の味と名前を覚えたと思う。
扉がノックされて、リディアはぱっとソファの影に走った。たいていはエドガーが来るけれど、たまにリディアを熱い水につけようとしたメイドさんが来るから、油断はできない。
「………み?」
けれどやってきたのはエドガーでもメイドさんでもなくて、色の濃い肌を持つ、エドガーの「家族」だった。リディアと一緒の、リディアよりも前にいる、エドガーの「家族」。
リディアは人間が苦手だけれど、レイヴンのことはそんなに怖くない。エドガーのように柔らかく笑いはしないけれど、レイヴンはとても静かで、リディアを怖がらせることはしないのだ。
だから食事を低いテーブルの上に並べていくレイヴンのそばへ、リディアは自分から近づいていく。ちょこん、と整えられたクッションの上に座りながら、夜中に来たエドガーの言葉を想い出した。
そういえば、少し出かけてくると言っていたっけ。
じゃあ今日は、窮屈な服に着替えなくてもいいのかな。
少し寂しく思いながらも、そんなことを思いつき、リディアはぴょこりと尻尾を跳ねさせる。温かなミルクが小さなカップに注がれたのを合図に、リディアは行儀を無視した動作でおいしい朝食を堪能した。
いつの間にか朝になっていた。
レイヴンが運んできた夕飯を食べた後、一日中着ていた寝間着を別の寝間着に取り替えてから、リディアはエドガーが部屋に来るのをまだかなまだかなと思いながら待っていたのだけれど。
「……みうー?」
しかも、寝ていた場所はベッドではなくて、扉の近くのソファの上だ。毛布は掛けられているのに、どうしてここで起きるのだろう。エドガーはいつも、リディアをベッドまで運んでくれるのに。
頭の上に疑問符を浮かべながら、リディアはとてとてと毛の長い絨毯の上を歩き、ベッドの上を覗き込む。よかった、蜂蜜はちゃんとある。
ほっと頬を緩ませてから、絨毯にぺたりと座り込む。そうして軽く手を握り、毎朝の習慣である身繕いをせっせと始めるのだった。
扉をノックする音が響いて、リディアはソファの影に駆け寄った。そうしながら、きちんと隠れることをせずに、身を乗り出して扉を伺う。エドガーだろうか、メイドさんだろうか。
入ってきたのは、レイヴンだった。
知らず、リディアの耳が垂れる。ほんのちょっと項垂れて、けれど朝食のおいしそうな匂いにつられてふらふらとクッションの上に座り込んだ。
テーブルの上に整然と皿が並べられていくのを眺めながら、リディアはもじもじと身じろぎする。エドガーはどこにいるのだろう? カップにミルクを注いだレイヴンが立ち上がろうとしたところで、思い切って顔を上げた。
「みう、みうー?」
リディアから、エドガー以外の人間に話しかけるのは初めてだ。
緊張しながら、じっとレイヴンを見つめる。彼は深い緑色の目をひとつゆっくりと瞬かせただけで、何も答えてくれない。
しゅん、と項垂れて、リディアはふわふわした真っ白なパンに手を伸ばした。あらかじめ切れ込みにバターを挟んであるそれを、もぐもぐと食べる。
レイヴンが部屋から出て行ってひとりになった後も、リディアはしつこいくらいに柔らかなパンを咀嚼し続けていた。確かに食欲をそそる匂いなのに、何を食べても、何かを食べている気になれなかった。
*
エドガーが出かけてから3日目の朝、レイヴンは一通りトムキンスに言いつけられた雑務をこなした後、食事を持ってリディアの部屋へ向かった。
リディアの体内時計はひどく正確で、毎朝5分と違わずに同じ時間に起き出している。彼女の世話をするのに、この点だけはやりやすくて、レイヴンは密かに安堵していた。
ノックをする前に一呼吸置いて、そっと部屋の中の気配を伺う。部屋の中にはリディアしかいないのだから、こんなさぐるような真似はしなくてもいいのだが、これがレイヴンの習い性なのだから仕方がない。
呼吸をするのと同じ自然さで気配を伺って、彼はふと部屋の中に不自然さを感じた。もう起きているはずの時間なのに、中でひとの動く気配がしない。
眠っているのだろうか、と思い、少し控えめにノックをしてから扉を開けて、目を瞬かせる。
リディアはちゃんと起きていた。いつものようにソファの影に隠れるのではなく、ソファの上にちょこんと座って、足と尻尾をぷらぷらと揺らしている。顔は俯き気味で、どこか悄然としている様子だった。
そういえば、昨晩からどことなく大人しかったような気がする。レイヴンは他人の感情の機微に疎いから、はっきり言葉で示されないとなかなか気付けないのだけれど。
ちらり、とリディアが視線を上げてレイヴンを見る。けれどすぐに逸らされて、うに、と不明瞭な呟きを落とした後、足も尻尾もぱたりと動きを止めてしまった。
もしかして、体調が悪いのだろうか。テーブルの上を整えて、ミルクを注いでもリディアが動かないのを見て、レイヴンは密かに焦る。リディアに何かあったら、エドガーが落胆するだろう。
「―――リディアさん」
ぱっと、リディアが顔を上げた。レイヴンを真っ直ぐに見る瞳はまん丸で、どうしてこんなに驚いた顔をしているのだろうと内心首を傾げる。
リディアと言葉を交わすのはこれが初めてだということに気づかないまま、レイヴンは低姿勢を保って淡々と言葉を紡いだ。見下ろしたら怯えから、話しかける時は目線の高さを合わせるように、と、事前にエドガーに教えてもらっておいてよかったと思う。
「どこか、お悪いのですか?」
目をぱちぱちと瞬かせていたリディアは、みう、と一言小さく鳴いた。それを皮切りに、支えていたものがとれたかのように、小さな喉から高い鳴き声がひっきりなしに上がる。
「みう、みうみ、みー、みうーう?」
「……あの」
「みうみ、みうう? みううー、みううー?」
何かを尋ねられている。それはわかるけれど、何を尋ねられているのかがわからない。レイヴンは途方に暮れてしまった。
「すみません、私にはわかりません」
「み……」
しょぼん、と、リディアが項垂れた。焦りながらもどうしたらいいかわからず、レイヴンは必死に考える。こういう時、主人はどうしていたっけ。
考えて、そもそもエドガーは、リディアの問いかけに対して返事を窮することがなかった、ということを想い出した。
「……リディアさん、どうぞお召し上がりください。温かい方が、おいしいと思います」
リディアは覇気のない瞳で朝食を見た。しばらく沈黙が続いた後、のろのろとした動きでクッションの上に移動する。小さな手にパンを持ったのを見て、レイヴンは少しほっとした。
その日の朝食は、彼女にはとても珍しいことに、半分以上が皿の上に残ったままだった。
リディアが食事を拒否するようになったのは、それからだった。
覇気がないながらも、レイヴンよりも子どもの扱いに慣れたメイドがどうにか食べさせようと姿を現すと、彼女は食事を摂っていないとは思えないほど俊敏な動作で逃げ回る。かといってレイヴンではリディアに食事をさせるうまい方法がわかるはずもなく、また教えられても実行するスキルがなく、とうとうリディアが食べ物に手をつけないまま丸一日が過ぎてしまった。
エドガーが領地に出かけてから、まだ4日だ。最低でもあと1日2日は帰らないだろう。エドガーが帰ってくるまで策を講じずに手をこまねいているのはまずい。そう考えたレイヴンは、意を決して強硬手段に出ることにした。
とっぷりと日の暮れた夕方、明かりはもちろん点けているけれど、リディアの部屋の中は薄暗い。ノックをして扉を開けると、リディアは入ったところからすぐに見えるソファの上に腰掛けていた。ちょっと警戒した仕種で顔を上げて、入ってきたのがレイヴンだけとわかると、そのままソファの上から動かない。
レイヴンは、食事をトレイに乗せたままテーブルの上に行き、リディアの前でそっと屈んだ。そうっとリディアに手を伸ばすと、彼女は驚いたように顔を上げたけれど、逃げる様子はなかった。
リディアは、レイヴンからは逃げない。それを逆手に取るような真似をすることはいけないことのような気がするけれど、レイヴンには他にどうすればいいのかがわからない。
「……すみません、リディアさん」
「み?」
細心の注意を払って、エドガーがしていた仕種を想い出しながら、リディアを抱き上げる。みう、と少し驚いたような鳴き声が上がったけれど、とくに警戒している様子ではないことが意外な気がした。出会った最初は、レイヴンの姿を認めた途端に全身を緊張させて固まっていたというのに。
「入ってください」
けれどそれも、開けっ放しの扉からメイドが入ってくるのを認めるまでだった。
なるべく力を入れないようにとリディアを抱えたレイヴンだけれど、唐突に暴れだそうとしたリディアを抑えるために、謝って傷つけてしまわないように苦心しながら、腕に力を入れる。
抗議をするように、もしかしたら怯えるように鳴くリディアに、大丈夫です、と淡々とした声で呼びかけた。しかしエドガーがそう言えば一気に安心するリディアだけれど、レイヴンの言葉では効果がない。
「そんなに暴れないでください、お嬢さま。ご飯を食べさせてあげるだけですよ。ほら、おいしそうな匂いでしょう? お嬢さまのお好きなお魚もありますよ」
メイドが、丸い木製のスプーンにほぐした魚の身をのせてリディアの口元に運ぶけれど、彼女は暴れるばかりで、これでは食べてくれそうにない。困りましたわね、と呟くメイドよりも確実にレイヴンの方が困っていたけれど、生憎彼の顔には微塵も表れなかった。
「リディアさん……」
途方に暮れたように呟くレイヴンの腕に、リディアは小さな爪を一生懸命立てていた。
最後に爪を切ったのは、5日前だ。少し伸びた爪がレイヴンの上着に引っかかり、かすかな皺を作る。レイヴンは全然痛くないけれど、興奮したリディアは力任せに爪を立てていた。このままではリディアの小さな爪が剥がれてしまうのではないだろうかと、ひやりとする。
手を離すべきか、と迷っている内に、部屋を見回していたメイドがふと明るい声を上げた。
「お嬢さまは蜂蜜がとてもお気に入りだと聞きました。あれがそうですね」
ぴ、とリディアの耳が立った。一瞬動きが止まったのを訝しく思ったレイヴンが腕を緩めた途端、今までの比ではなく、リディアが身を捩る。
思わずそのまま解放してしまったレイヴンの膝を踏みつけて、リディアが綺麗に跳び上がった。ひどく怒ったような声を上げながら、一直線にメイドへと飛びつく。蜂蜜が入っている瓶の蓋を開けようとしていたメイドは、悲鳴を上げてそれを取り落とした。
テーブルに当たり、派手な音が上がる。大した高さでもなかったため、瓶が割れることはなかったけれど。
「……………み」
中途半端に緩められた蓋が落ちた衝撃で外れ、倒れた瓶からは止めどなく琥珀色が流れ出していた。
とろとろ、とろとろ。流れる様を見て、焦った声を上げたのはメイドだった。今すぐに片付けます、と瓶を起こし、零れた蜂蜜をすくい取ってゴミ入れへ捨てる。手際よくどんどん片付けられていく蜂蜜をリディアは呆然と眺めていた。
なにか、非常にまずいことが起こったような気がする。レイヴンはそう感じながら、考えるのをやめて、直感で行動した。
中身が半分以下に減ってしまった瓶にしっかりと蓋をして、外側を綺麗に拭う。そうした上で、蜂蜜の瓶をリディアに渡した。
手を取って持たせると、焦点の合っていなかったリディアの瞳がゆるゆると動いた。緩慢な動作で蜂蜜を抱え、感情が抜け落ちてしまったかのような表情の中で、じわじわと涙が盛り上がる。
冷や汗をかきながらどうすることもできずに固まるレイヴンの前で、リディアはくるりと踵を返した。部屋の奥、明かりの届かない影の中へ入っていき、身じろぎする気配すら消える。
泣き声は、ほんの少しも聞こえてこなかった。
*
ずっとずっと、暗い場所にいた。
暗くて汚くて冷たくて、けれどただ生きなくては、と思う毎日の中では、そんなことには気づいていなかった。
路地裏を駆けていた頃、リディアが持っていた感情らしい感情は、恐怖だけだ。主に、人間に対しての。リディアは人間と似ているのに、人間とは違う形をしているから、ひどく罵られて、虐げられた。
鉢合わせるたびに追いかけられて、時には殴られ、蹴られたりもした。痛さやつらさもあったけれど、何よりも怖かった。あの怒声が、怒気が、怖かった。
けれどそれを拭ってくれたのも人間だった。
エドガーは、人間なのに怖くなかった。それどころかすごく優しくて、すごくすごく温かかった。だから、安心していた。エドガーは人間なのに、安心してしまった。
忘れていた。人間は嘘をつくのだ。
少し出かけてくる、と言ったエドガーは、現に全然帰ってこない。毎日一緒にいたのに。家族は毎日一緒にいるのが、当たり前だと思っていたのに。
エドガーはどこ? と問いかける声に、誰も何も、答えてくれなかった。
顔を埋めたクッションに、しとしと水分が染みこんでいく。目が壊れてしまったみたいだ。どうしても涙が止まらない。
もう、ひとりぼっちじゃないと思ったのに。
明るくて綺麗で温かい場所を知ってしまった、嬉しいという気持ちを知ってしまったリディアだから、あの路地裏にまた戻らなくてはいけないのだろうかと考えることは、とてつもない恐怖だった。
ぎゅうっと、固い感触の瓶を抱きしめる。大切にしていたのに、壊されてしまったものだ。一気に軽くなった重さを思うと、また涙がこみ上げてくる。
舌の上でとろける甘さも大好きだけれど、日に透かして、綺麗な色を眺めるのも大好きだった。きらきら太陽に輝く、黄金色はエドガーの色。だから、この瓶の蓋を開けていいのは、エドガーだけだったのに。
みうみう、と小さく呻く。みうみうみう、と、だんだん感情が高ぶってきた。
けれどリディアは、声を上げて泣く術を忘れてしまった。路地裏で声を上げて泣けば、たちまち怖い人間がやってきて、リディアをもっと恐ろしい目に遭わせたから。
みうみう、みう、と、泣き声と呼ぶには控えめすぎる声を上げながら、リディアは静かに泣き続けた。
*
レイヴンからの手紙を受け取ったのは、アシェンバート邸に帰る途中の道中でのことだった。
御者に急ぐように言い含め、エドガーは馬車の中で何度も手紙に目を通す。リディアの不調についてのことが簡潔な言葉で詳しく書かれており、最後はレイヴンらしい率直な言葉で「力不足で申し訳ありません」と謝辞が綴られていた。
レイヴンがリディアの世話に手を焼くという予想はしていた。けれどそれは、ぼろぼろと食べかすを零すリディアを窘めるのは無理だろうな、とか、着替えの時に嫌がるリディアを宥めるのに苦労するだろうな、とか、微笑ましい困りごととしての程度でしかなかった。
それが、リディアが食べることを拒否し、部屋の隅に蹲ったままになるとは、いったい何が起こったのか。
レイヴンのせいではないだろう。メイドが蜂蜜を零したことも書かれているけれど、食事の拒否は、それが起こる前に始まっていたわけだから、これも原因にはならない。
何か、取り返しのつかないことをした気がする。
ファハムでのトラブルはすべてエドガーの望むとおりの展開となり、満足のいく結果を得られたというのに、後悔に似た苦い思いがエドガーの胸に渦巻いていた。
馬車を急がせるだけ急がせて邸につくと、レイヴンとトムキンスに安堵した顔で迎えられた。トップハットとステッキ、外套を預かった途端に深々と頭を下げるレイヴンを制して、状況を聞く。
「リディアは?」
「お部屋で、お休みになられています。ベッドにお運びしようと身体に触れると途端に目を覚ましてしまわれるので、その、床で」
エドガーが眉をひそめるのを見て、レイヴンはまた項垂れるように目を伏せる。息をついて、肩を軽く叩いた。
「いつから食べてないんだ?」
「一昨日からです。ミルクだけは召し上がっているようですが、固形物には手をつけていません」
「体調が悪い……というわけではないんだね?」
「動きは、ひじょうに機敏です」
ふと、何日か前に見た、覇気が失われたかのようなリディアの大人しい瞳を想い出す。邸の暮らしに、もうずいぶんと馴染んだと思っていたけれど、考えてみればまだ1ヶ月も経っていない。急にエドガーがいなくなってしまったから、放っておかれたと思ってしまったのだろうか。
側にいてあげればよかった。
胸に溢れる、後悔に似たもやもやした感情の形を見つけて、エドガーはすとんと納得した。そうだ、側にいてあげればよかった。ずっとひとりぼっちだったリディアをまたひとりにさせるなんて大馬鹿だ。こんなふうにリディアが閉じこもってしまうのがわかっていたなら、男爵との小競り合いなんて放っておいたのに。
着いた扉の前で、エドガーはレイヴンに下がるように伝えた。形ばかりのノックをして、そっと室内への扉を開ける。
カーテンは開かれて、部屋の中は明るかった。けれど日に照らされた温かい場所のどこにもリディアの姿はない。真っ先にベッドを確認して、レイヴンの言ったとおりにそこに姿が見いだせないと、エドガーは床を見渡した。
大して広くもない部屋なのに、一見して姿が見えないとはどういうことなのか。眉をひそめながら家具の裏を覗き込んで回ると、部屋の一番隅、ドレッサーと壁の間にできた僅かな隙間に、リディアが小さな身体をさらに小さく丸めて眠っていた。
音を立てずに屈んで、そっと覗き込む。艶やかな髪も、ふにふにと柔らかそうな頬も、出かける前に見たリディアと変わらない。けれど閉じた瞼は赤みを帯びて、その下の微かな窪みは青紫色に黒ずんでいた。ずっと泣いていたのだろうか。痛ましくて、眉をひそめる。
「……リディア」
手袋を外して、そっと髪を撫でる。目蓋を指の腹でなぞって、頬を手のひらで撫でて、彼女が起きないことを確認してから、被っている毛布ごとリディアの身体を抱き上げた。
ぱちり、と、リディアの目蓋が開く。
前置きなく現れた大きな瞳に、エドガーは思わず目を見張った。抱き上げたのは失敗だったか、と思ったが、エドガーを感情の読めない目で凝視したまま、リディアはなんの反応も示さない。
もしかして寝ぼけているのだろうか、と首を傾げると、金糸が流れて耳元でさらりと音を立てた。それにつられたように、リディアが小さな手をエドガーの顔に伸ばしてくる。
焦点の合っていない、感情を亡くしてしまったかのような瞳で瞬きもせずにエドガーを凝視し、本当に存在しているのかと疑うような手つきで、彼女は念入りにぺたぺたとエドガーの顔に触れた。
「リディア……?」
ぴ、と耳が立つ。抱えた腕に、尻尾が動いた感触が当たった。
「リディア、ただいま」
リディアがゆっくりと瞬きをした。繰り返すごとに焦点があって、じわじわと幼いかんばせに感情の色が浮かんでくる。
「ただいま……ごめんね、リディア。側にいてあげればよかった。……怖い思いを、させた?」
みう、とリディアが鳴いた。喉に引っかかるような、少し掠れた声だった。
「みう……みう、み、みう、みうみうみう!」
ぺしん、とリディアの手のひらがエドガーの顔面を打った。みうみう、みうみうと鳴きながら、リディアは涙をぼろぼろと零して鳴いていた。
鳴き声がどんどん大きくなって、泣き声に変わる。癇癪のままにひとしきりエドガーをたたいたその手で、ぎゅうっとエドガーにしがみつく。
薄汚い路地裏で、初めて彼女を見つけた時も、リディアはこんなふうに堪えていたものを吐き出すように泣いていた。
「ごめんねリディア、ごめん。大丈夫だよ、怖いことなんて、何もない。僕のリディア、ちゃんと君のもとに、帰ってくるからね」
ごめんね、と、大好きだよ、を交互に囁きながら、小さな身体を優しく揺すってあやす。柔らかな身体が少し軽くなっている気がして、心配になった。
「……リディア?」
かすかに強張っていた身体から完全に力が抜けて、ふにゃん、とエドガーにもたれかかる。くうくうと寝息を立て始めたリディアを抱いたまま、エドガーは日当たりのいいソファに腰を下ろした。ぐちゃぐちゃに濡れた顔をハンカチで拭ってやり、膝の上におろす。するとリディアは自分からもぞもぞと動いて、寝心地のいい場所にすっぽりと収まった。
優しく髪を梳いてやると、耳がぴくりと動く。耳の裏をくすぐるようにして撫でると、リディアはかすかに喉を鳴らした。口角がうっすらと上がり、安らかな寝顔になったように見える。あどけない寝顔に、ほんの少し救われた心地がした。
ベルを鳴らして、レイヴンを呼ぶ。しばらくすると、部屋の中を伺うようにして遠慮がちに姿を現した。思わず苦笑するけれど、彼がエドガーの膝の上にいるリディアを見て安堵したように見えて、頬を緩める。
「食事を用意してくれ。ミルクと……スープがいいかな。それから、瓶詰めにした蜂蜜を」
「かしこまりました」
そっと会話を交わして、レイヴンが静かに出て行く。うにうに、と口を動かしているリディアに微笑み、動いている頬を軽くつつくと、リディアは眉をしかめてエドガーの指をぱくりとくわえた。
そのまま赤ん坊のようにエドガーの指をしゃぶるものだから、ちょっとびっくりする。
「……さすがにお腹がすいたのかな」
すいていなければ困るのだけれど。
ちゅうちゅうと吸われている指はそのままに、反対側の手で優しく優しくリディアの髪を撫でた。多分、彼女は愛情にも飢えている。小さな子どもが与えられてしかるべきものを、きっと手に入れて来れなかっただろうから。
いっぱい愛してあげよう、と思う。気まぐれで拾ってきた子猫だけれど、こんなにエドガーに心を預けて、寄りかかってくる存在を愛おしく思わないわけがない。
「まずは、ご機嫌とりをしなくちゃね」
囁くように嘯いて、ふふ、と微笑む。
甘いミルクに垂らす、甘い甘い蜂蜜が、彼女の機嫌を宥めてくれるといいのだけれど。
+++
こうして「あんまり信用し過ぎちゃいけない」と警戒心を抱いたリディアに、エドガーがべたべたと構おうとするので、姿を見るたびに逃げることになるのです^^
なんか苦しいな!(爆
しかしこんなに甘えて貰った後で、姿を見るたび逃げられたら、エドガーかなりショックでしょうね…(笑
おかげさまで、やっと書けました。「書いてー」と催促してくださった方、ありがとうございました!^ワ^*
猫部屋をたたまなくてはーと言っているにも関わらずちびにゃんこ話を投下します。
邸に拾われてきた初期のお話。もう少し意思疎通がちぐはぐしてる感じでも楽しそうですが、そこはエドガーマジックと言うことで^^
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邸に拾われてきた初期のお話。もう少し意思疎通がちぐはぐしてる感じでも楽しそうですが、そこはエドガーマジックと言うことで^^
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子猫が邸にやってきてから、2週間が経とうとしていた。
来た直後の風呂騒動が原因なのか、はたまたそれ以前のことが原因なのかはわからないけれど、彼女はやたらと人見知りをする。
ご飯を食べさせようと、もしくは着替えをさせようとメイドが部屋の中へ入っていくたびに、小さな足で一生懸命柔らかな絨毯を蹴り、ささっとソファの後ろへ隠れてしまうのだ。
ご飯は、行儀に目をつむれば子どもでもひとりで食べられる、簡単なものを用意しているからいいけれど、着替えは生憎そうもいかない。
幼いからか元々の性質なのかはわからないけれど、リディアは不器用である。前に付いているボタンですら留められないのに、後ろのボタンなんてどうやってとめられるというのだろう。
しかも、彼女自身には寝間着とそうでない普段着との区別をつける必要性がまったくないらしい。着替えなくちゃ駄目だよといくら言葉で諭しても、首を傾げるばかりなのだ。
結局、朝と夜にエドガーが半ば強制的に彼女を着替えさせているのだけれど、昼のドレスは窮屈なのか、夜の着替えの時の方がリディアは嬉しそうにしている気がする。
言葉が話せないので、なんとなくしかわからないのだけれど。
「はい、終わり」
「みう」
腰のリボンをきゅっと結んでやると、リディアはぴょこんと尻尾の先を跳ねさせた。
じっとしてて、というと、なぜだか耳も尻尾もしゅんと大人しくなる様は、何度見ても面白い。
くすりと笑うと、リディアがきょとんとした瞳で見上げてきた。微笑んで、頭を撫でる。何度か撫でてやると、じっとエドガーを見上げていた瞳が少し和んだ。
そのおとなしさに、エドガーは少し首を傾げる。
たまに、出会ったばかりの時の方が元気だったのではないだろうかと思う。少しずつ覇気が失われていっているかのような。
「リディア、あったかいミルクを持ってこようか。ああもちろん、少し冷ましてからね。ちょっと蜂蜜を垂らして、甘いミルクにしよう」
ミルク、という言葉に、ぴくっと耳が動く。期待に目を瞬かせて、どんどん頬が上気していく。
「蜂蜜を食べるのは初めてだっけ? 期待していいよ、リディア。僕も、小さい頃は瓶の底までさらって食べるのが大好きだったんだ」
みうみう、とリディアが身体を揺らしながら歌うように鳴きだした。きらきらした瞳は、エドガーが呼んだメイドが部屋の扉をノックした時に最高潮になる。
いつもは扉の向こう側に人の気配がしただけで警戒する様子を見せるのに、こういうところが現金で可愛い。
「みう!」
トレーに乗せられたミルクのカップと蜂蜜の瓶が低いテーブルの上に置かれると、リディアは隠れることもせずに身を乗り出して、全身を使ってうきうきしているのを表現する。
ゆらゆらと尻尾を揺らして、そわそわとカップと瓶と、それからエドガーとを伺うリディアに、先ほど感じた不安の影はない。
気のせいだったかな、と、エドガーはにこりとリディアに笑いかける。
「虫歯になるといけないから、あんまり多くは食べさせてあげられないけど」
小さなティースプーンに半分ほど、とろりとした琥珀色の蜂蜜を乗せて、リディアに差し出す。あーん、と言うと、あーん、と口を開ける、その隙間から見えた舌に蜂蜜をぽとりと落とした。
む! とスプーンをくわえたままの不明瞭な発音でリディアが鳴き、みるみるうちに瞳が輝き出す。
口の中でもごもごと一生懸命に蜂蜜を舐め取るのをしばらく眺めていたが、いっこうにスプーンを口から出す気配がないのに苦笑する。
ためしにちょっと引っ張ってみたら、抗議するように大きな目で睨み上げてきた。
「あんまり舐めてると、舌が金物臭くなるよ?」
金物という表現がわからなかったのか、リディアがきょとんと目を瞬かせた。もう蜂蜜の味はしないだろ? と改めて諭すと、彼女はしぶしぶスプーンを離す。
「みう、みうー、みうう」
「駄目だよリディア、今日はこれだけ」
「みう……みううー」
エドガーの言うことは基本的に素直に聞くリディアが、珍しく食い下がる。控えめに、けれど諦めきれないようにエドガーを伺うリディアに、そんなに気に入ったのか、と頬を緩ませた。
小さな手のひらでエドガーの服の裾を握る彼女が可愛らしい。ほだされそうになりながら、エドガーは傍目にわかりやすく、うーん、と考え込む仕種をした。
「……もう一匙あげてもいいけど、リディア、そうしたらミルクに入れる分はなしだよ?」
「み」
リディアの耳と、そして尻尾がぴっと立った。そのままゆらゆら揺れて、ついでに身体ごとゆらゆら揺れて、最後には視線も泳ぎ出す。
柔らかい手触りの髪を撫でて、どっちにする? と優しく聞くと、ゆらゆら揺れていた身体がぴたりとやんで、みうーと名残惜しげな声を出しながら、彼女はちらりとミルクの方を見た。
「ミルクに入れる?」
「……み」
「うん、いい選択だよ、リディア。蜂蜜を入れると、甘いミルクがもっと甘くおいしくなるからね」
「みぅ」
蜂蜜を溶かし込んだミルクに期待を抱きながらも、ちょっとしょんぼりしている様子のリディアに、エドガーは蓋をきっちり閉めた蜂蜜の瓶を彼女によく見えるようにして掲げた。
「リディア、この蜂蜜は全部、君のものだよ」
「………み?」
「一日に少しずつしか食べさせてあげられないけど、でも、これは君だけの蜂蜜」
はい、とリディアの手に抱えさせて、落ちないように支える。リディアはまじまじと蜂蜜の瓶を見ながら、少しずつエドガーの言ったことの意味を飲み込んだのか、じょじょに頬を紅潮させていった。
「……みうう?」
「うん、これは君だけのもの。誰もとらないから、安心して」
「みう……みうう、みう!」
支えたエドガーの手ごとリディアは瓶をぎゅうっと抱きしめた。嬉しがるリディアの頭を優しく撫でて、エドガーは頬を緩ませる。
邸に来てから、こんなにはしゃぐリディアを見たのは初めてかもしれない。そんなに蜂蜜が嬉しいのか。
それもあるだろうけれど、とエドガーは思う。
彼女は蜂蜜の入った瓶と一緒に、誰にも取られることのない自分だけのもの、という安心を抱きしめているのではないだろうか。
これまでの彼女の生活の中で、リディアに与えられたものはごく僅かで、それに比べてとてもたくさんのものを脅かされてきたのだろうから。
いつでもこんなふうに屈託なく笑っていてくれればいいと思う。
「さあリディア、ミルクが冷たくなると、蜂蜜が固まって底にたまってしまうよ。おいしく溶けてる内に、召し上がれ」
「みう!」
満面の笑みで、リディアは彼女が抱えるには重たい瓶をそっと床の上に置く。
上機嫌にミルクを飲むリディアを眺めながら、エドガーは気分を和ませて微笑んだ。
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